February 272005
離婚と決めし夫へ食べさす蜆汁
清水美津枝
季語は「蜆(しじみ)」。蜆は一年中出回っているが、琵琶湖特産のセタシジミの旬が春のため、春の季語になったという。このことからしても、季語は京都を中心に考えられてきたことがわかる。「離婚と決めし」だから、まだ「夫(つま)」に離婚を切り出したわけではあるまい。自分ひとりの心のうちで決意した段階だ。したがって、いつものように「食べさ」せている。彼の好物なのか、それとも単に旬のものだから出したのか、いずれにせよ会話も無い食卓で「蜆汁」のカシャカシャと触れ合う小さな音だけがしている。春なのに、いや春だからこそ、なんとも侘しい気持ちなのだ。離婚してせいせいしたい気持ちと、そこに至るまでの長く重苦しいであろう時間への思いとがないまぜになって、ますます滅入ってくる……。むろんこの句は、現在進行形ではなく、離婚成立後に詠まれたものだろう。回想句だ。春が来て「蜆汁」を食べるたびに、作者はこのときのことを嫌でも思い出さざるを得ない。下衆のかんぐりをしておけば、離婚話を持ち出したのはこの日のことだったような気がする。なお、作者の苗字は私と同じだけれど、私の身内でもなければ知り合いでもありません。念のため(笑)。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・春』(2004)。(清水哲男)
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