春は「センバツ」から。待望の野球シーズンの到来だ。昨日は雨で流れたがそれも良し。




2005ソスN3ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2432005

 夜の明ぬ松伐倒すさくらかな

                           陽 和

戸期の句.朝飯前の一仕事だ。「夜の明(あけ)ぬ」とはあるが、まだ完全には明けていない状態を言ったのだろう。しらじらと明け初めてきた山道を木樵(きこり)がやってきて、そこにある「松」の木を伐り倒した。この場合の松の木は、相当な大木であるほうが句景にふさわしい。木樵と大木とが、いわば格闘する感じである。そんな格闘の末に,どうと地響きをたてて松が倒れる。と、それまではほとんど視界になかった満開の「さくら」が、ぱあっと眼前に現われたというわけだ。まだ、山は薄暗い。その薄明のなかに真っ白に浮き出た桜花の美しさときたら,どうだろう。しばし木樵は、陶然として眺めたにちがいない。たまたま伐り倒した松の向こうに、たまたま桜の木があったにすぎないが、黒っぽい松の木だけに、この「たまたま」は天の配剤のように写る。この句の手柄は,まず人の姿を出さずにドラマを創出したところだ。そしてさらには、情景の鮮明な映像化を果たしたこともさることながら、句に映像だけでなく,山の匂いまでをもにおわせている点である。伐り倒した松の木が発散する濃密な匂いがあたりに立ちこめ,その向こうには無臭の桜花が爛漫と展開している。松と桜の景の取り合わせが匂いのそれにまで及んでいるから,読者はまことに清々しい思いで句を反芻することができるのである。いいなあ、山の朝は……。柴田宵曲『古句を観る』(1984・岩波文庫)所載。(清水哲男)


March 2332005

 春の木になりて縄など垂らすかな

                           鳴戸奈菜

い句だ。いや、逆に可憐な句と言ってもよい。一読,鮮やかな女性「性」を感じた。が、もしかすると作者はそのことに無意識であるかもしれない。それほどに、句柄がすっとしているからだ。でも、男が読めば、すっとしているほどに強い女性「性」を感じるのである。作者の名前が伏せられていたとしても,男の句ではないことがすっと伝わってくる。同じようなことを詠むとしても、男だったら「春の木を見れば縄など垂れている」程度になるだろうか。夏や秋の木ではなく、ましてや冬のそれでもなく,これから花開こうかという「春の木になる」。明るくも生臭い春の木は、しかしみずから動くことはかなわない。あくまでもじいっと立ったままなのであり、徹底して受け身である。その身悶えせんばかりの悩ましさから,少しでも解放されるために、せめて出来ることと言えば「縄など垂らす」ことくらいだろう。木の芽時の縄だから、もとより通りかかる誰かの自殺への誘惑装置として垂らすのだ。そこが「怖い」と感じさせる所以だが,しかし女性の根元的な「性」、当人も無意識であるかもしれない「性」のありようには、常に「縄など垂らす」ようなところがあるのだと思う。突き詰めた物言いをしておけば、死への誘惑がひそんでいる。したがって、その意味で理解するとなると、何の外連み(けれんみ)も無くすっと提出している作者の心情は,むしろ可憐の側にあるとも言えるのである。『鳴戸奈菜句集』(2005・ふらんす堂)所収。(清水哲男)


March 2232005

 サヨナラがバンザイに似る花菜道

                           正木ゆう子

語は「花菜(はなな)」で春。「菜の花」のこと。ふつう「サヨナラ」の仕草は片手をあげ、「バンザイ」は両手で表現する。だから「似る」わけはないのだが、そうでもないときがある。たとえば、子供たちの卒業式からの帰り道だ。一面に「花菜」が咲き乱れる道を,いつものように連れ立って帰ってゆく。が、今日は特別の日だ。別れ道で「じゃあね」といつものように片手をあげて別れるのだが、しばらくすると遠くのほうから「サヨーナラーッ」と声がする。見ればいま別れた友だちが、手を振っている。で、こちらも振りかえす。遠ざかりながら何度も手を振りあううちに,最後は双方とも両手をあげて大きく振るようになる。傍目からすれば「バンザイ」の仕草に似てしまうわけだが、当人たちにはあくまでも「サヨナラ」なのだ。いや、たとえ最後まで片手を降っていたとしても,花菜道の明るさが「バンザイ」を想起させるということでもよさそうである。微笑してそんな情景を見ている作者には、しかし「サヨナラ」が「バンザイ」に似ようとも,彼らのこれからの長い人生のことなどがちらと思われて、すっと甘酸っぱいようなほろ苦いようなものが、胸をかすめたことだろう。この「バンザイ」に似た「サヨナラ」で,親しく手を振りあった同士が、もう二度と会わないことだってあるとするならば……。『悠 HARUKA』(1994)所収。(清水哲男)




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