本欄宛に句誌句集を戴いています。ご返事は差し上げられませんが丁寧に拝見しています。




2005ソスN3ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2832005

 蛇穴を出づるとの報時計見る

                           鈴木鷹夫

語は「蛇穴を出づ」で春。ははは、とても可笑しい。面白い。でも、どういうシチュエーションなのだろうか。冬眠から覚めた「蛇」を見かけたという「報」が入った。「ずいぶんまた、今年は早く出てきたな」と思った作者は、途端に無意識に「時計」に目をやったというのである。つまり、そこで普通なら「今日は何日だったかな」と壁に掛けたカレンダーなどで確認するところを、思わずも「いま、何時だろう」とばかりに、時計を見てしまったというわけだ。カレンダー付きの時計もなくはないけれど、そうした種類の時計ではない。あくまでも、普通の時計だからこそ可笑しいのだ。咄嗟の行為だから,シチュエーションとしては電話で報せてきたと考えるのが妥当で,手紙だったらこのような間違いにはいたらないはずだ。作者はとにかく間抜けなことをやっちまったわけだが、しかしこの種の間抜けは、誰にでも思い当たる質の間抜けである。すっかり日常的に身についている行為が,何かの判断ミスから、すっと出てきてしまう。だが、その間抜けは、多く自分にだけわかる性質のものであり、たとえばこのときに誰かが作者の傍らにいたとしても、単に時計を見た作者の行為が間抜けとはわからないわけだ。したがって,間抜けの主人公は一瞬「しまった」と思い,だが次の瞬間には(誰にもそれと悟られなくて)「ああ、よかった」となる。ましてや、この場合の素材が眠りから覚めたばかりでボオッとしているであろう蛇だから,余計に可笑しく写る。そんな微妙な色合いの失敗を、淡々として提出している作者は,おそらく人生の機微をよく知る人なのだろう。『千年』(2004)所収。(清水哲男)


March 2732005

 石蹴りの筋引いてやる暖かき

                           臼田亜浪

石けり
語は「暖か」で春。暖かいかと思えば寒くなったりと,春先の気温はなかなか一定しない。そんな時期がようやく過ぎて,心地よい暖かさの日が訪れてきた。上機嫌の作者は,「石蹴り」遊びをはじめようとしている子供たちを手伝って,「筋」を引いてやっている。舗装された道路などでならロウセキかチョークで、土の道や庭でなら棒切れか何かで……。いずれにしても、大の男が頼まれたわけでもないのに,そんなふうな気まぐれ心が起きたのも、春らしい程よい「暖か」さのためである。たまには、無邪気な句もよいものだ。ところで、この石けり遊び。多くの人が日本の伝承遊びだと思っているようだが,日本での歴史は意外にも浅い。明治期に入ってから,外国から輸入された戸外ゲームだ。教育的な効果があるというので、学校を通じて全国的に広められたらしい。発祥の地は、実は古代ローマ帝国時代のイギリスだった。それも最初は兵士の脚力のトレーニングのために開発されたもので、それを子供たちが真似てミニチュア化したものが、遊びとして全ヨーロッパにまず定着したのだった。英語では"hopscotch"と言い、国によってそれぞれの呼び名は違っているけれど、基本的なルールは似たり寄ったりである。写真は、アメリカのサイトから借用したもの。ここには、各国での遊び方も紹介されている。日本の「石けり」は昨今すっかりすたれた格好だが,これを見る限り,彼の地ではファミリー・イベントなどでもよく行われているようである。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所収。(清水哲男)


March 2632005

 紫雲英草まるく敷きつめ子が二人

                           田中裕明

語は「紫雲英草(げんげそう)」で春、「紫雲英」の項に分類。「蓮華草(れんげそう)」とも。かつては田圃で広く栽培され,肥料として春の田に鋤き込まれていた。いちめんに紫雲英咲く田圃の風景は,絵のように美しかった。私にも覚えがあるが,花を摘んでは首飾りめいたものなどを作って遊んだものだ。句の「子」は、「二人」とも女の子だろう。二人は,とある農家の庭先で,ままごと遊びでもしているのか。カーペットに模したつもりだろう、たくさんの紫雲英を取ってきてていねいに「まるく敷きつめ」、その上にちょこんと坐って遊んでいるのだ。それだけの光景ではあるけれど,この句を味わうためには,尻の下に敷いた紫雲英草の冷たい感触を知っている必要がある。間違いなく,作者はそのことを前提にしている。そのひんやりとした感触を想起することで,女の子たちに注がれている暖かい春の日差しのほどが想像され,ようやく光景は質感をもって立ち上がってくるのだからだ。つまり句の狙いは、昔の絵本にあるような傍観的童画的光景ではなく,あたかも作者が一瞬,二人のうちの一人であるかのように気持ちを通わせた光景だと言って良いと思う。句に滲んでいる懐かしさのような情感は,そこから発しているのである。「俳句」(2005年4月号)に島田牙城が寄せた作者への追悼文によれば、掲句は田中裕明の所属した「青」(波多野爽波主宰)への初入選句だという。となれば、このときの作者はまだ高校生だった。高校生にして,既にその後のおのれの俳句への道筋を定めているかのような句境には驚かされる。俳誌「青」(1977年7月号)所載。(清水哲男)




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