March 292005
春霰へグラビア雑誌かざしけり
松村武雄
季語は「春霰(しゅんさん)」,「春の霰(あられ)」に分類。ときに大粒のものが降り,せっかく塗った田の畦に穴をあけたり,木の芽や若葉を傷めたりすることがある。そんなときならぬ春の霰に,咄嗟に「グラビア雑誌」をかざしたと言うのである。むろん、カバンのなかからわざわざ雑誌を取り出したのではなく、さっきまでたとえば電車のなかで開いていたのを、そのまま手にしていたのだ。かざしたのがカバンや新聞だったらさほど絵にはならないけれど、たまたまグラビア雑誌だったので、絵になり句になった。その薄くて大判の雑誌の表紙には,華やかな春の景物が載せられていただろう。かざしながら訝しげに上空を見やる作者の目には,にわかにかき曇った灰色の空と明るい表紙とが同時に飛び込んでいる。パラパラと表紙をうつ霰の音もする。この季節外れの自然のいたずらは、しかし作者にはちっとも不快ではない。どこかで、春の椿事を楽しんでいる様子すらうかがえる。それもこれもが、やはりグラビア誌の明るい表紙のおかげだと読めた。グラビア誌といえば、数年前に「アサヒグラフ」が休刊して以来,この国から本格的なグラビア専門誌が姿を消したままになっているのは寂しい。海の向こうの代表格は,なんといっても「LIFE」だ。つい最近知ったのだが,この雑誌がヘミングウェイの『老人と海』を一挙掲載した号(1952)は,48時間で500万部以上を売り上げたという。遺句集『雪間以後』(2003)所収。(清水哲男)
June 152005
句集読むはづかしさ弱冷房車
松村武雄
季語は「冷房」で夏。電車のなかで、どんな読み物を読もうともむろん自由だ。だが、電車のなかも一つの世間であるから、車内には車内なりの世間体というものがあるし、やはり多少は気になる。新聞や週刊誌でも開くページが気になるし、文庫本でもあまりくだけた内容のものは避けたりする。つまり、車内の多くの人は世間を意識して読み物なりページなりを広げているのだ。だから、作者の言うように「句集」を読むのはちと恥ずかしい。なんとなく、世間の目がいぶかしげにこちらを見ているような気がするからだ。詩集や歌集でも同じことで、実際私にも経験があるけれど、その種の本を広げた途端に、世間から孤立した感じがしてしまう。ひとりで勝手に「はづかしさ」を覚えてしまうのである。しかも作者が乗っているのは「弱冷房車」だ。よほど無頓着な人は別にして、冷房車を避けて数の少ない弱冷房車に乗るのは意識的である。その車両に乗りたくて、わざわざ選んで乗るわけだ。ということは、「弱」の乗客の間には、たまたま乗り合わせたとはいえ、一般の冷房車の雑多な客よりもいわば同類としての意識が高い。実際に他の客の意識がどうであれ、選んで乗った当人にはそう感じられる空間である。したがって、弱冷房車の世間は、そうでない車両のそれよりも濃密なのであって、そこで奇異に思われるかもしれない「句集」をあえて開いたのだから、これはもう「はづかしさ」と言うしかないのであった。とまあ、車中の読書にもいろいろと気を使うものでありマス。『雪間以後』(2003)所収。(清水哲男)
July 162012
川床に来て氷金時などいふな
松村武雄
京都には六年住んだが、「川床(ゆか)」には一度も縁がなかった。どだい学生風情が上がれるような気安いところではなかったから、毎夏鴨川の道端からそのにぎわいを遠望するだけで、あそこには別の人種がいるんだくらいに思っていた。たまさかそんな川床に招かれた作者は、京情緒を満喫すべく、しかもいささか緊張気味に坐っている。で、料理の注文をとなったときに、同席の誰かが大きな声で「氷金時」と言ったのだ。たぶん、そういう場所で遊び慣れた人なのだろう。が、緊張気味の作者にしてみれば、せっかくの心持ちが台無しである。こんなところに来てまで、どこにでもあるような氷菓を注文したりするなよと、顔で笑って心で泣いての心境だ。めったに行けない店にいる喜びがぶち壊されたようで、むらむらと怒りもわいてきた。わかるなあ、この気持ち。最近はスターバックスの川床もできているそうだから、もはや若い人にこの句の真意は伝わらないかもしれない。でもねえ、せっかくの川床で、アメリカンなんてのは、どうなのかなあ。なお余談だが、作者は詩人北村太郎(本名・松村文雄)の実弟。一卵性双生児だった。『雪間以後』(2003)所収。(清水哲男) {違ったかな}「氷金時」を注文したのは、連れて行った子どもだったのかもしれませんね。そのほうが素直な解釈に思えてきました。うーむ。
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