あいつぐ大地震。これは地球の悲鳴なのか、それともまだまだ元気な証拠なのだろうか。




2005ソスN3ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 3032005

 水金地火木土天海冥石鹸玉

                           守屋明俊

語は「石鹸玉(しゃぼんだま)」で春。「水金地火木土天海冥(すい・きん・ち・か・もく・ど・てん・かい・めい)」は、水星から冥王星まで,惑星を太陽に近い順に並べた覚え方だ。昔,小学校の教室で習った。先生は「ど・てん・かい・めい」と平板に流さず,この部分を「どってんかいめい」とまるで一語のように発音されたことを覚えている。とかくあやふやになりがちな後半の部分を,強く印象づけようという教授法だったのだろう。おかげて私たちは、惑星というと、前半よりもむしろ「どってんかいめい」のほうに親近感を覚えることになった。さて、掲句。楽しい連想句だ。いくつも「石鹸玉」が飛んでいるのを眺めているうちに,作者はふっと「どってんかいめい」を思い出したのだろう。といって、石鹸玉に宇宙的な神秘性を感じているのでもなければ、両者ともにいずれは消滅してしまうという共通点にものの哀れを感じているのでもない。ふわふわと飛び交う五色の玉の仲間に、巨大な惑星の玉を入れてやることにより,春のひとときの楽しい気持ちがいっそう膨らんでくる。そんな作者の弾んだ気持ちを、読者にもお裾分けした句とでも言うべきか。上五中七で何事がはじまるのかと思わせておいて,最後に可愛らしい「石鹸玉」を差し出してみせた茶目っ気もよく効いている。漢字のみの句は理に落ちる場合が多いが,それがないところにも好感を持った。「俳句研究」(2005年4月号)所載。(清水哲男)


March 2932005

 春霰へグラビア雑誌かざしけり

                           松村武雄

語は「春霰(しゅんさん)」,「春の霰(あられ)」に分類。ときに大粒のものが降り,せっかく塗った田の畦に穴をあけたり,木の芽や若葉を傷めたりすることがある。そんなときならぬ春の霰に,咄嗟に「グラビア雑誌」をかざしたと言うのである。むろん、カバンのなかからわざわざ雑誌を取り出したのではなく、さっきまでたとえば電車のなかで開いていたのを、そのまま手にしていたのだ。かざしたのがカバンや新聞だったらさほど絵にはならないけれど、たまたまグラビア雑誌だったので、絵になり句になった。その薄くて大判の雑誌の表紙には,華やかな春の景物が載せられていただろう。かざしながら訝しげに上空を見やる作者の目には,にわかにかき曇った灰色の空と明るい表紙とが同時に飛び込んでいる。パラパラと表紙をうつ霰の音もする。この季節外れの自然のいたずらは、しかし作者にはちっとも不快ではない。どこかで、春の椿事を楽しんでいる様子すらうかがえる。それもこれもが、やはりグラビア誌の明るい表紙のおかげだと読めた。グラビア誌といえば、数年前に「アサヒグラフ」が休刊して以来,この国から本格的なグラビア専門誌が姿を消したままになっているのは寂しい。海の向こうの代表格は,なんといっても「LIFE」だ。つい最近知ったのだが,この雑誌がヘミングウェイの『老人と海』を一挙掲載した号(1952)は,48時間で500万部以上を売り上げたという。遺句集『雪間以後』(2003)所収。(清水哲男)


March 2832005

 蛇穴を出づるとの報時計見る

                           鈴木鷹夫

語は「蛇穴を出づ」で春。ははは、とても可笑しい。面白い。でも、どういうシチュエーションなのだろうか。冬眠から覚めた「蛇」を見かけたという「報」が入った。「ずいぶんまた、今年は早く出てきたな」と思った作者は、途端に無意識に「時計」に目をやったというのである。つまり、そこで普通なら「今日は何日だったかな」と壁に掛けたカレンダーなどで確認するところを、思わずも「いま、何時だろう」とばかりに、時計を見てしまったというわけだ。カレンダー付きの時計もなくはないけれど、そうした種類の時計ではない。あくまでも、普通の時計だからこそ可笑しいのだ。咄嗟の行為だから,シチュエーションとしては電話で報せてきたと考えるのが妥当で,手紙だったらこのような間違いにはいたらないはずだ。作者はとにかく間抜けなことをやっちまったわけだが、しかしこの種の間抜けは、誰にでも思い当たる質の間抜けである。すっかり日常的に身についている行為が,何かの判断ミスから、すっと出てきてしまう。だが、その間抜けは、多く自分にだけわかる性質のものであり、たとえばこのときに誰かが作者の傍らにいたとしても、単に時計を見た作者の行為が間抜けとはわからないわけだ。したがって,間抜けの主人公は一瞬「しまった」と思い,だが次の瞬間には(誰にもそれと悟られなくて)「ああ、よかった」となる。ましてや、この場合の素材が眠りから覚めたばかりでボオッとしているであろう蛇だから,余計に可笑しく写る。そんな微妙な色合いの失敗を、淡々として提出している作者は,おそらく人生の機微をよく知る人なのだろう。『千年』(2004)所収。(清水哲男)




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