April 0242005

 苗代に鴉を吊し出稼ぎへ

                           小菅白藤

語は「苗代(なわしろ)」で春。いまでは稲の苗は育苗箱で育てられるが、昔は小さく区切った田に種もみを蒔いて育てた。田園地帯のそこここに早緑色の苗が育つ様子は、美しいものだった。句のような光景は見たことはないけれど、「鴉」のむくろを吊るしておくのは害鳥対策なのだろう。効果があるのかないのか、しかし「出稼ぎ」で留守をする身にしてみれば、そんなことは言っていられない。家にとどまっていればちょくちょく見回りもできるが、それがかなわないのだから、気休めであろうとも何か対策をこうじて置かなければ不安なのである。作者が出稼ぎに出た後に、だらりと吊るされて腐食していく鴉の様子までがうかがわれて、切なくなる。作者の苗代のみならず、あちらにもこちらにも……。稲作農家にとって、現金収入への道は乏しい。年に一度の収穫物を売ってしまったら、まとまった収入を得る手段はないからである。昔はそれでも、ある程度の田圃を持っていればやっていけたのが、高度成長期に入ったあたりから、農村でも現金がないと暮らしが立ち行かなくなってきた。自給自足をしようにも、農業の効率化機械化が奨励され、そのための元手に手持ちの現金では足りるはずもない。多くの農民が借金に苦しみ、不本意な出稼ぎへと追い立てられていったのだった。山口の中学時代の友人たちは、ほとんどが山陽新幹線の土台作りにたずさわったという。たまに乗るだけだが、乗るたびにそのことを思い出して、なんだか息苦しくなってしまう。『現代俳句歳時記・春』(2004)所載。(清水哲男)




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