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2005N43句(前日までの二句を含む)

April 0342005

 ごはん粒よく噛んでゐて桜咲く

                           桂 信子

く噛んでたべなさい。「ごはん粒」は三十回くらい噛むと、甘みが出てきておいしいし、身体のためにも良いのです。子供の頃に、何度も先生からそう言われた。で、三十回ほど噛んでみると、口中のごはん粒はとろとろの液状になり、なるほど甘みが出てくる。たしかに、おいしい。とは思ったけれど、ついによく噛むことは身につかなかった。三十回も噛むというのは意識的な行為だから、食事中は噛むことだけに集中しなければならない。うっかり他のことに思いが行ったりすると、何度噛んだかわからないうちに呑み込んでしまうことになる。すなわち、よく噛もうとする強い意識は、極端に言えば食事全体の楽しさを奪ってしまいかねない。そんなことを気にせずに食べることは、また別の楽しさを伴ったうまさをもたらすのだからだ。掲句は、作者七十歳ころの作品。一般的には、もう子供の頃のような歯よりはだいぶ衰えている年齢である。したがって、逆に噛むことには意識的になってきているのであり、うまさよりも健康のことを考えて、よく噛むことを心がけておられたのだろう。といっても、食事のたびに意識的であるのではなく、時々それこそ昔の先生の教えを思い出したりしてよく噛んでみている。そして、そのようにしていると一種の充実感が芽生えてくる。その充実感を、ごはん粒とは何の関係もない「桜」の開花に結びつけたとき、いっそう晴れやかな気分が立ち上がってきたというわけだ。この「桜」はいま現在の花でもあり、よく噛みなさいと言われた時分の花でもあるだろう。そう読むと、この句には咲き初めた桜のようなうっすらとした哀感が滲んでいるような気もしてくる。『草樹』(1986)所収。(清水哲男)


April 0242005

 苗代に鴉を吊し出稼ぎへ

                           小菅白藤

語は「苗代(なわしろ)」で春。いまでは稲の苗は育苗箱で育てられるが、昔は小さく区切った田に種もみを蒔いて育てた。田園地帯のそこここに早緑色の苗が育つ様子は、美しいものだった。句のような光景は見たことはないけれど、「鴉」のむくろを吊るしておくのは害鳥対策なのだろう。効果があるのかないのか、しかし「出稼ぎ」で留守をする身にしてみれば、そんなことは言っていられない。家にとどまっていればちょくちょく見回りもできるが、それがかなわないのだから、気休めであろうとも何か対策をこうじて置かなければ不安なのである。作者が出稼ぎに出た後に、だらりと吊るされて腐食していく鴉の様子までがうかがわれて、切なくなる。作者の苗代のみならず、あちらにもこちらにも……。稲作農家にとって、現金収入への道は乏しい。年に一度の収穫物を売ってしまったら、まとまった収入を得る手段はないからである。昔はそれでも、ある程度の田圃を持っていればやっていけたのが、高度成長期に入ったあたりから、農村でも現金がないと暮らしが立ち行かなくなってきた。自給自足をしようにも、農業の効率化機械化が奨励され、そのための元手に手持ちの現金では足りるはずもない。多くの農民が借金に苦しみ、不本意な出稼ぎへと追い立てられていったのだった。山口の中学時代の友人たちは、ほとんどが山陽新幹線の土台作りにたずさわったという。たまに乗るだけだが、乗るたびにそのことを思い出して、なんだか息苦しくなってしまう。『現代俳句歳時記・春』(2004)所載。(清水哲男)


April 0142005

 呑むために酒呑まない日四月馬鹿

                           的野 雄

語は「四月馬鹿」で春。四月一日は嘘をついても許される日ということになっているが、その嘘もだまされた人のことも「四月馬鹿」と言う。掲句はちょっと本義からは飛躍していて、自嘲気味にみずからの「馬鹿」さ加減に力点が置かれている。「酒呑まない日」とはいわゆる休肝日で、必死で禁酒しているわけだが、考えてみれば、これはまた明日から「呑むため」の必死なのだ。アホらしくもあり滑稽でもあり、というところだろう。常飲者でない人からすれば不可解な必死だろうが、当人にしてみれば真剣な刻苦以外のなにものでもないのである。友人にも必ず週に一日は呑まない日を設定している飲み助がいるので、そのしんどさはよく話に聞く。聞くも涙の物語だ。ところで、この季語「四月馬鹿」については苦い思い出がある。数年前にスウェーデンと日本との合同句集を作ろうという企画があり、日本側の選句を担当した。で、四月馬鹿の句には、できるだけバカバカしくて可笑しい句を選んだ。だが、他の選句には何の異論も出なかったものの、この一句のみには先方から同意できないとクレームがついてしまった。理由は明快。スウェーデンでは、四月馬鹿は敬虔な日なのであって、決して笑いふざけるような日ではないからというものだった。合同句集のタイトルが『四月の雪』とつけられたことでもわかるように、彼の地の冬は長い。その暗鬱な季節からようやく解放される予兆をはらんだ四月馬鹿の日。ふざけるよりも、季節の巡りに頭を垂れたくなるほうが自然だろう。私なりにそう納得して、選句は撤回したのだったが……。「俳句研究」(2005年4月号)所載。(清水哲男)




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