今年のゴールデンウイークは理想的に休祝日が並んでいる。といって私には関係ないが。




2005ソスN4ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0442005

 金貸してすこし日の経つ桃の花

                           長谷川双魚

語は「桃の花」で春。借金をする句は散見するが、金を貸した側から詠まれた句は珍しい。いずれにしても、金の貸し借りは気持ちの良いものではない。とくに相手が親しい間柄であればあるほど、双方にしこりが残る。頼まれて、まとまった金を貸したのだろう。とりあえず当面の暮らしに支障はないが、いずれは返してもらわないと困るほどの金額だ。相手はすぐにも返せるようなことを言っていたけれど、「すこし日の経(た)つ」今日になっても、何の音沙汰もない。どうしたのだろうか、病気にでもなったのだろうか。それとも、すぐに返せるというのは苦し紛れの口から出まかせだったのか。いや、彼に限っては嘘をつくような人間ではない。そんなことを思ってはいけない。こちらへ出向いて来られないような、何かのっぴきならない事情ができたのだろう。まあ、もう少し待っていれば、ふらりと返しにくるさ。もう、考えないようにしよう。等々、貸した側も日が経つにつれ、あれこれと気苦労がたえなくなってくる。貸さなければ生まれなかった心労だから、自分で自分に腹立たしい思いもわいてくる。気がつけば「桃の花」の真っ盛り。こういうことがなかったら、いつもの春のようにとろりとした良い気分になれただろうに、この春はいまひとつ溶け込めない。浮世離れしたようなのどかな花であるがゆえに、いっそう貸した側の不快感がリアリティを伴って伝わってくる。『花の歳時記・春』(2004・講談社)所載。(清水哲男)


April 0342005

 ごはん粒よく噛んでゐて桜咲く

                           桂 信子

く噛んでたべなさい。「ごはん粒」は三十回くらい噛むと、甘みが出てきておいしいし、身体のためにも良いのです。子供の頃に、何度も先生からそう言われた。で、三十回ほど噛んでみると、口中のごはん粒はとろとろの液状になり、なるほど甘みが出てくる。たしかに、おいしい。とは思ったけれど、ついによく噛むことは身につかなかった。三十回も噛むというのは意識的な行為だから、食事中は噛むことだけに集中しなければならない。うっかり他のことに思いが行ったりすると、何度噛んだかわからないうちに呑み込んでしまうことになる。すなわち、よく噛もうとする強い意識は、極端に言えば食事全体の楽しさを奪ってしまいかねない。そんなことを気にせずに食べることは、また別の楽しさを伴ったうまさをもたらすのだからだ。掲句は、作者七十歳ころの作品。一般的には、もう子供の頃のような歯よりはだいぶ衰えている年齢である。したがって、逆に噛むことには意識的になってきているのであり、うまさよりも健康のことを考えて、よく噛むことを心がけておられたのだろう。といっても、食事のたびに意識的であるのではなく、時々それこそ昔の先生の教えを思い出したりしてよく噛んでみている。そして、そのようにしていると一種の充実感が芽生えてくる。その充実感を、ごはん粒とは何の関係もない「桜」の開花に結びつけたとき、いっそう晴れやかな気分が立ち上がってきたというわけだ。この「桜」はいま現在の花でもあり、よく噛みなさいと言われた時分の花でもあるだろう。そう読むと、この句には咲き初めた桜のようなうっすらとした哀感が滲んでいるような気もしてくる。『草樹』(1986)所収。(清水哲男)


April 0242005

 苗代に鴉を吊し出稼ぎへ

                           小菅白藤

語は「苗代(なわしろ)」で春。いまでは稲の苗は育苗箱で育てられるが、昔は小さく区切った田に種もみを蒔いて育てた。田園地帯のそこここに早緑色の苗が育つ様子は、美しいものだった。句のような光景は見たことはないけれど、「鴉」のむくろを吊るしておくのは害鳥対策なのだろう。効果があるのかないのか、しかし「出稼ぎ」で留守をする身にしてみれば、そんなことは言っていられない。家にとどまっていればちょくちょく見回りもできるが、それがかなわないのだから、気休めであろうとも何か対策をこうじて置かなければ不安なのである。作者が出稼ぎに出た後に、だらりと吊るされて腐食していく鴉の様子までがうかがわれて、切なくなる。作者の苗代のみならず、あちらにもこちらにも……。稲作農家にとって、現金収入への道は乏しい。年に一度の収穫物を売ってしまったら、まとまった収入を得る手段はないからである。昔はそれでも、ある程度の田圃を持っていればやっていけたのが、高度成長期に入ったあたりから、農村でも現金がないと暮らしが立ち行かなくなってきた。自給自足をしようにも、農業の効率化機械化が奨励され、そのための元手に手持ちの現金では足りるはずもない。多くの農民が借金に苦しみ、不本意な出稼ぎへと追い立てられていったのだった。山口の中学時代の友人たちは、ほとんどが山陽新幹線の土台作りにたずさわったという。たまに乗るだけだが、乗るたびにそのことを思い出して、なんだか息苦しくなってしまう。『現代俳句歳時記・春』(2004)所載。(清水哲男)




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