昨日からやっと春らしい陽気が安定した東京です。春も本番,桜咲く入学式となりそう。




2005ソスN4ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0642005

 寝たきりの目を閉じて泣く桜挿せば

                           望月たけし

誌「俳句人」(2005年4月号)のコラムで知った句。「寝たきり」になった父親(と、工藤博司の紹介文にある)に、もう例年のような花見はかなわない。そこでせめてもと思い、作者は花をつけた枝を折りとってきて、花瓶に挿して見せた。父親はしばし凝視していたが、急に「目を閉じ」たかと思うと、声を押し殺して「泣き」はじめたというのである。頬に伝う涙を認めてわかったのだが、しかし作者はそれを正視しつづけることはできなかったろう。おそらくは、はじめて見た父親の涙だ。この涙には、老いた我が身への口惜しさと息子の優しい思いやりへの感謝の念とが入り混ざっている。だからこのときの桜は、単なる花ではありえない。単なる花を越えた、いわば「世間」というものである。私たちの通常の花見にしたところで、たしかに花を見に行くのではあるけれど、花を媒介にして実は世間との触れ合いを楽しむためだと言ってよい。「寝たきり」の人は世間から不本意にも置き去りにされているわけだから、とりわけてそういうことには敏感になるはずだ。そんな孤独な心の枕辺に、華やかに挿された世間としての桜花なのである。誰が泣かずにいられようか……。老いの実相を鮮やかに提出した名句だと思う。『新俳句人連盟創立四五周年記念アンソロジー』(1991)所収。(清水哲男)


April 0542005

 勿忘草わかものゝ墓標ばかりなり

                           石田波郷

語は「勿忘草(わすれなぐさ)」で春。英語では"Forget-me-not"、ドイツ語では"Vergissmeinnicht"という名だから、原産地であるヨーロッパのいずれかの言語からの翻訳だろう。命名の由来をドイツの伝説から引いておく。「昔、ルドルフとベルタという恋人同士が暖かい春の夕べ、ドナウ川のほとりを逍遙(しようよう)していた。乙女のベルタが河岸に咲く青い小さな花が欲しいというので、ルドルフは岸を降りていった。そして、その花を手折った瞬間、足を滑らせ、急流に巻き込まれてしまった。ルドルフは最後の力を尽くして花を岸辺に投げ、「私を忘れないでください」と叫び、流れに飲まれてしまう。(C)小学館」。なんとも純情な物語だが、俳句ではこうした原意を受けて詠まれるときと、花の名の由来とは無関係に詠まれる場合とがある。とくに近年になればなるほど、由来を踏まえた句が少なくなってきたのは、この種の純情があまりに時代遅れで古風と写るからにちがいない。そんななかで、掲句はきちんと由来を詠み込んでいる。「わかものゝ墓標ばかり」というのは、かつての戦争で死んでいった若者たちの墓標の多さを言っている。彼らは、まさに恋人(愛する人々)のために闘って倒れたのであり、死の間際には「私を忘れないでください」と心のうちで叫んだであろう。そしてまた、彼らは作者と同世代であった。偶然に近い状況で生き残った作者の、彼らに対してせめてもと手向けた鎮魂の句として忘れ難い。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


April 0442005

 金貸してすこし日の経つ桃の花

                           長谷川双魚

語は「桃の花」で春。借金をする句は散見するが、金を貸した側から詠まれた句は珍しい。いずれにしても、金の貸し借りは気持ちの良いものではない。とくに相手が親しい間柄であればあるほど、双方にしこりが残る。頼まれて、まとまった金を貸したのだろう。とりあえず当面の暮らしに支障はないが、いずれは返してもらわないと困るほどの金額だ。相手はすぐにも返せるようなことを言っていたけれど、「すこし日の経(た)つ」今日になっても、何の音沙汰もない。どうしたのだろうか、病気にでもなったのだろうか。それとも、すぐに返せるというのは苦し紛れの口から出まかせだったのか。いや、彼に限っては嘘をつくような人間ではない。そんなことを思ってはいけない。こちらへ出向いて来られないような、何かのっぴきならない事情ができたのだろう。まあ、もう少し待っていれば、ふらりと返しにくるさ。もう、考えないようにしよう。等々、貸した側も日が経つにつれ、あれこれと気苦労がたえなくなってくる。貸さなければ生まれなかった心労だから、自分で自分に腹立たしい思いもわいてくる。気がつけば「桃の花」の真っ盛り。こういうことがなかったら、いつもの春のようにとろりとした良い気分になれただろうに、この春はいまひとつ溶け込めない。浮世離れしたようなのどかな花であるがゆえに、いっそう貸した側の不快感がリアリティを伴って伝わってくる。『花の歳時記・春』(2004・講談社)所載。(清水哲男)




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