MacOSX新版"Tiger"が29日に登場。名前も良いし使いやすそうだが、OS9は切り捨てか。




2005ソスN4ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1442005

 玉浮子を引き込むものもこの世なり

                           つぶやく堂やんま

季句。作者は釣りをよくする人のようだが、こういう句は頭の中で作れそうでいて、そう簡単にはいかないだろう。やはり、実際に何度となく釣った経験のなかから、生まれるべくして生まれた思いなのだ。というのも、傍目で釣りを見ている人には、ぐぐっと浮子(うき)が引き込まれたときに、「やった」という思いくらいしか湧いてこないからだ。釣り人にもむろん「やった」の思いはあるけれど、しかし傍目の人とは違って、釣る人には「やった」の前のプロセスがある。いっかな引き込まれない浮子を辛抱強く見つめているのもその一つであり、むしろかかった瞬間よりも、その間のことを釣りと言ってもよいくらいだ。このときに浮子は、水面下の世界とのいわば対話の道具となる。釣り人は全神経を集中して浮子をみつめ、水の中で何が起きるのか、あるいは起こらないのかを知ろうとする。そうしているうちにだんだんと、傍目の人には別世界でしかない水中が、親和的な「この世」のように溶け込んでくる感じになる。そして突然、ぐぐっと浮子が引き込まれたとき、引き込んだ魚はまさに「この世」の手応えを伝えるのであり、それは「この世」そのものが引いたと同義に近くなっている。すなわち、「この世」が「この世」を引き込むのだ。カラフルで可愛らしい「玉浮子」だけに、クライマックスの怖いほどの思いが強く印象づけられる。『つぶやっ句・ぼんやりと』(1998・私家版)所収。(清水哲男)


April 1342005

 後れ毛や春をそわそわパラフィン紙

                           室田洋子

爛漫などという朗々たる春を捉えたのではなく、極めて日常的な春の喜びを繊細な感覚で詠んだ句だ。うなじの「後れ毛」と包装用の「パラフィン紙」とには何の関係もないのだけれど、「そわそわ」という感覚からすると、両者は手品のように結びつく。いずれもがデリケートな質感を備えており、そわそわとした一種不安定な気分と良くマッチしている。作者はうなじに春を感じながら、たとえば洋菓子のパラフィン紙をそっとはがしているのだろうか。主人公が少女ならば「るんるん」気分になるところだが、作者にはそれらの持つデリカシーの味をも楽しむ気持ちがあるので、やはり「そわそわ」気分と言うしかないのである。パラフィン紙は、別名をグラシン紙と言う。昔の文庫本のカバーがみなこれだったし、いまでも箱入りの本の内カバーとしてよく使われている。カステラの敷き紙なんかもそうだったが、今でも健在かな。半透明で、薄くて破れやすい。私の子供の頃には、大人も含めて俗に「ブーブー紙」と呼んでいた。なぜ「ブーブー」なのかと言えば、この薄紙を口に当てて強く息を吹きかけると「ブーブー」と鳴るからである。他愛無い遊びだったが、鳴らしたときに紙が唇に微妙にふるえて触れるこそばゆさを、いまだに覚えている。『海程樹道場第四集』(2005・群馬樹の会)所載。(清水哲男)


April 1242005

 ごくだうが帰りて畑をうちこくる

                           小松月尚

語は「畑打(つ)」で春。「ごくだう」は「極道」だが、この場合は「極道息子」くらいの意味だろう。ぷいっと遊びにいったきり、何日も戻らないこともしばしばだ。近所でもなにかと噂の、他家の不良青年である。それがいつ舞い戻ってきたのか、今日は畑に出て神妙に耕している姿を見かけた。「うちこくる」は方言だろうか。私にはいまひとつ理解しにくい言葉だが、「こくる」の勢いからして、懸命に耕している様子に近いニュアンスではないかと思う。すなわち、彼の耕している姿からすると、もうすっかり心を入れ替えましたと言わんばかりの働きぶりなのだ。でも、この句は「ごくだう」が真面目になってよかった、これでいままでのことは帳消しになるなどと言っているのではあるまい。彼が黙々と「うちこく」れば「うちこくる」ほどに、いつまで続くだろうかという猜疑の心が頭をもたげてくるのである。あんなに急に入れ込んでは、長続きはしそうもないなと読んでいる。そう思うのは、べつに意地悪からではない。私の田舎では、そんな人間のことを「このへんの風(ふう)に合わない」と言っていた。狭い村落共同体の生活を嫌って一度でも飛び出した者は、なかなか元には戻れないものなのだ。そんな若い衆が何人か、私の周辺にもいた。たしかに彼らは村の風とは異なる雰囲気を持っていたし、実家とはすったもんだを繰り返していたようだ。「ごくだう」ではなく「げど(外道)されめ」とののしられつつ、やはり同じように「うちこく」っていた彼らの姿を懐かしく思い出す。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)




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