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2005ソスN4ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1742005

 養生は図に乗らぬこと春の草

                           藤田湘子

にご存知のように、作者は一昨日亡くなられた。享年七十九。主宰誌「鷹」のいちばん新しい号(2005年4月号)で見ると、掲句のように闘病生活を詠んだ句が目立つ。この句ではしかし、だいぶ体調が良くなってこられていたようなので、一愛読者としてはほっとしていたのだが……。元気な人がこんな句を詠んだとしたら、教訓臭ふんぷんで嫌みな感じしか受けないけれど、病者の句となると話は別だ。一般的な教訓などではなく、自戒の意が自然に伝わってくるからである。少しくらい調子が戻ってきたからといって、萌え出てきた「春の草」に喜びを覚えたからといって、ここで「図に乗」っては危険だ。過去に失敗したことがあるからだろうが、作者は懸命に浮き立ちたい気分を押さえ込もうとしている。春の草の勢いとは反対に、おのれのそれを封じ込める努力が「養生(ようじょう)」なのだからと、自分に言い含めているのだ。このモノローグは、同じ号に載っている「春夕好きな言葉を呼びあつめ」「着尽くさぬ衣服の数や万愚節」などと読み合わせると、老いた病者の養生が如何に孤独なものかがうかがわれて、胸が痛む。これらの句は、作者の状況を知らない者にとっては、相当にゆるくて甘い句と読めるかもしれない。だが、掲載誌は結社誌なのだから、これで通じるのだし、これでよいのである。俳句が座の文芸であることを、しみじみと感じさせられたことであった。合掌。(清水哲男)


April 1642005

 野に出でよ見わたすかぎり春の風

                           辻貨物船

語は「春の風」。句意は明瞭だから、解説の必要はないだろう。気持ちのよい句だ。こういう句を読むにつけ、つくづく作者(詩人・辻征夫)は都会っ子だったのだなあと思う。幼い頃に短期間三宅島に暮らしたことはあるそうだが、まあ根っからの下町っ子と言ってよい雰囲気を持っていた。私の交遊範囲で、彼ほどの浅草好きは他には見当たらない。掲句の「野に出でよ」は「野に出て遊ぼうよ」の意だから、私のような田舎育ちには意味はわかっても、素直には口に出せないようなところがある。野に暮らして野に出るといえば、どうしても野で働くほうのイメージが勝ってしまうからだ。島崎藤村の詩「朝」のように、野はぴったりと労働に貼り付いていた。「野に出でよ 野に出でよ/稲の穂は黄に実りたり/草鞋(わらじ)とくゆえ 鎌を取れ/風にいななく 馬もやれ」と、こんな具合にだ。逆に、かつて寺山修司がアンドレ・ジッドの口まねをして「書を捨てて、街に出よう」と言ったときには、わかるなあと思った。こちらは、どう考えても田舎育ちの発想である。すさまじいまでの街への憧れを一度も抱いたことのない者には、それこそ意味は理解できるとしても、心の奥底のほうでは遂にぴったりと来ないのではなかろうか。育った環境とは、まことに雄弁なものである。『貨物船句集』(2001・書肆山田)所収。(清水哲男)


April 1542005

 美しき人は化粧はず春深し

                           星野立子

語は「春深し」。桜も散って、春の艶も極まったころ。句は、真の美人は化粧しないものだなどと、小癪なことを言っているのではない。私は、この「美しき人」に年輪を感じる。どこにもそんなことは書いてないけれど、季語「春深し」との取り合わせから、そう受け取れるのである。「化粧はず」は「けわわず」だ。もはや若いときのように妍を競う欲からも離れ、容貌への生臭いうぬぼれや憧れもない。かといって枯れてしまったのではなく、また俗に言う可愛いおばあちゃんでもなく、おのれ自身の春が極まったとでも言おうか、自然体としての身体がそのままで美しくある「人」に、作者は好感している。いや、羨望の念すら抱いている。この人には、女性「性」のまったき円熟が感じられ、静やかな艶がおのずと滲み出ているのだ。すなわち、それが「春深し」の季節の極まりに深く照応しているのであって、この季語は動かし難い。そしてまた、「深し」すなわち極まりとは早晩過ぎ行くことの兆しをはらんでいるから、句はその兆しをも匂わせていて、ますます艶やかである。書かれたもので読んだのか、直接聞いたのだったかは忘れたが、埴谷雄高が「女は七十代くらいがいちばん良い」という意味のことを述べたことがある。逆説でも、ましてや珍説でもないだろう。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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