「礼の国が礼を忘れたのか」と某閣僚。では聞くが日本は中国に礼をつくしているのか。




2005ソスN5ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2552005

 こひびとを待ちあぐむらし闘魚の辺

                           日野草城

語は「闘魚(とうぎょ)」で夏、「熱帯魚」に分類。闘魚とは物騒な名前だが、その名の通りに闘争本能が極めて強い。同じ水槽に雄を二匹放つと、どちらかが死ぬまで闘いつづけるという。赤や青の色彩が鮮やかであるだけに、余計に凄みが感じられる。そんな闘魚が飼われている水槽の前で、作者は女性が人待ち顔でいるのを目撃した。おそらく「こひびと」を待っているのだろう。相当に待ちくたびれたらしく、もはや華麗なる闘魚も眼中に無し。イライラした顔で、早く来ないかとあちこち見やっている。二人が「闘魚の辺」を待ち合わせ場所に選んだのは、どちらかが多少遅れても退屈しないですむということからに違いない。が、ものには限度というものがある。もうしばらくすると、彼女自身がそれこそ闘魚と化してしまうかも……。というのは半分冗談だが、しかしそれに近い滑稽味を含んだ句だ。実際、相手が「こひびと」であるなしに関わらず、待ち合わせ場所の選択は難しい。とくに初対面の人とは大変で、編集者のころにはけっこう苦労した。ある人が渋谷のハチ公の銅像前ならわかるだろうと約束し、さらにわかりやすく、ハチ公の鼻に手をかけて待っているからと念押しした。ところが、約束の日時にハチ公の前に出てビックリ。鼻に手をやろうにも、高すぎてとうてい届かない。仕方がないので、相手が現われるまで鼻めがけてぴょんぴょん飛び上がりつづけた。……か、どうかまでは聞き漏らしたけれど。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 2452005

 自由が丘の空を載せゆく夏帽子

                           山田みづえ

京都目黒区自由が丘。洒落たショッピング街と山の手らしい閑静な住宅街とが共存する街。友人が長らく住んでいたので、二十代のころからちょくちょく出かけていた。どことなく、避暑地の軽井沢に似た雰囲気のある街だ。そんな自由が丘の坂道を、たとえば白い夏帽子をかぶった少女が歩いてゆく図だろうか。「空を載せゆく」とは、いかにも健やかでのびのびとした少女を思わせて微笑ましい。しかも、その空は「自由が丘」の空なのだ。実際に現地を知らなくても、「自由」の響きからくるおおらかさによって、作者の捉えた世界への想像はつくだろう。軽い句だが、上手いものである。自由が丘と聞いて、戦後につけられた地名と思う人もいるようだが、そうではない。「自由ヶ丘」と表記していたが、昭和の初期からの地名である。発端となったのは、自由主義を旗印に手塚岸衛がこの地に昭和二年に開校した「自由ヶ丘学園」だ。試験もなく通信簿もないというまさに自由な学園は、残念なことに昭和の大恐慌で資金繰りがうまくいかなくなり、あえなく閉校してしまったという。が、手塚の理想主義は当時の村長や在住文化人らの熱い支持を受け、地名として残され定着したのだから、以て瞑すべし。戦時中には「自由トハ、ケシカラン」と当局からにらまれたこともあったらしいが、住民たちが守り通した。そうした独特の気風が、現在でもこの街に生きているような気がする。その「空」なのだから、夏帽子もどこか誇らしげである。ちなみに「自由ヶ丘」が「自由が丘」と表記変更されたのは、昭和四十年(1965年)のことであった。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 2352005

 噴水や戦後の男指やさし

                           寺田京子

語は「噴水」で夏。連れ立っていた「男」が、たまたま噴水に手をかざしたのだろう。ああいうものにちょっと手を触れてみたくなる幼児性は、どうも男のほうが強いらしい。それはともかく、作者はその人の「指」を見て、ずいぶんと「やさし」い感じを受けたのだった。そういえば、この人ばかりではなく、総じて「戦後の男」の指はやさしくなったとも……。男の指を通して、戦後社会のありようの一断面をさりげなく描いた佳句だ。男の指がやさしくなったのは、もちろん農作業など戸外での労働をしなくなったことによる。1950年代の作と思われるが、当時は「青白きインテリ」という流行語もあったりして、多くの男たちにはまだ「指やさし」の身を恥じる気持ちが強かった。たしか詩人の小野十三郎の自伝にも、自分の白くてやさしい感じの手にコンプレックスを持っていたという記述があったような気がする。ごつごつと節くれ立った指を持ってこそ、男らしい男とされたのは、肉体労働の神聖視につながるが、しかしこれはあくまでも昔の権力者に都合の良い言い草であるにすぎない。句はそこまでは言ってはいないけれど、男の指がやさしく写ることに否定的ではなく、ほっと安堵しているような気配がうかがえる。苛烈な戦争の時代を通り抜けた一女性ならではの、それこそやさしいまなざしが詠ませた句だと思う。『日の鷹』(1967)所収。(清水哲男)




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