May 282005
傘の女水中花にして街暮れる
渡邉きさ子
季語は「水中花」で夏。フォトジェニックな句だ。構図がぴしゃりと決まっている。雨降りの日暮れの街、とある建物から出てきた「女」が傘を開いた。ぱあっと開いた彼女の様子は、さながら「水中花」の開くそれにも似て、華麗で美しい。他にも通行人はいるのだけれど、作者の視野にはその「女」ひとりだけが焼きつけられたのだった。それもくっきりとではなく、雨のフィルターと薄暮の光源のために、少し紗がかかっている。まことに都会的で洒落た一句だ。一読、こんな写真を撮ってみたいなと思い、十七文字でそれをなし得た作者のセンスの良さと構成力に感心してしまった。このようなまなざしで、雨の街を歩いている人もいるのだ。あやかりたい。もう一度読み直してみると、句の主体は作者ではなく「街」である。街が「女」を水中花にしている。そこに作者の技巧的な作為が働いているわけだが、こうした詠み方はひとつ間違えると句をあざとくしてしまう危険性がある。つまり、作り過ぎになってしまう。掲句が実景であるかどうかは別にして、そのあざとさの危険性を限りなくさりげなさの方に寄せているのは、やはり雨と薄暮による紗の効果によるものだと思った。こういうことは、すべて作者の持って生まれたとでも言うしかないセンスに属する。魅かれて、句集一巻をじっくり再読することになった。『野菊野』(2004)所収。(清水哲男)
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