2005N6句

June 0162005

 六月の花嫁がかけ椅子古ぶ

                           安田守男

の上での「六月」は、すでに夏のなかばだ。仲夏の候。梅雨が控えてはいるものの、実際にもすべての風物が夏らしく変わっていく。「六月の花嫁」、すなわちジューン・ブライドはヨーロッパの言い伝えで、この月に結婚する女性は幸福になれるという。根拠には諸説あるそうだが、私は最も単純に捉えて、彼の地では六月がいちばん良い気候だからだろうと思っている。だとすれば、日本では春か秋に該当する。そんなこの国で、何も好き好んでこの蒸し暑い月に結婚式をあげることもないではないか。でも、そこはそれ、ブライダル・マーケットの巧みな陰謀もあってか、すっかりジューン・ブライドは定着してしまった感がある。何を隠そう(なんて、力を入れる必要もないけれど)、私も三十数年前の六月に挙式している。なぜ、六月だったのか。当時はまだジューン・ブライド神話も上陸しておらず、とにかく六月の式場は空いていて、料金も安かったという極めて実利的な理由からだった。案の定、当日は雨模様で蒸し暑かったのを覚えている。前置きが長くなったが、掲句は花嫁の褒め歌だ。匂うがごとき「六月の花嫁」が腰掛けると、式場の立派な椅子ですら、たちまちにして古びてしまう。それほどに、目の前の花嫁は若くて美しい……。というわけだが、この褒め方もなんとなく西欧風であるところが面白い。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


June 0262005

 なんとなく筍にある前後ろ

                           早野和子

語は「筍(たけのこ)」で夏。俳句ならではの、とぼけた味わい。こういう句を、俳諧味があると言うのかしらん。おっしゃる通りに、その気で見ると、たしかに「前後ろ」があるような気がする。それがどうしたというものではないけれど、しかし、そのように見えてしまうこと自体は、人の認識についての興味深い問題をはらんでいると思った。筍に前後ろがあると感じるのは、実際に前後ろのある他の事物からの類推だろう。例えば筍の皮を衣服と見立てれば、襟元のように見えるほうが前であるし、筍を人体と思いなせば、平らなほうが背中に見えるので後ろということになる。むろん、筍に前も後ろもないことはわかっているのだが、私たちは日頃、ついそれがあるように見ているのが普通なのではあるまいか。そんな気がする。だとすれば、そのように見てしまうのは何故なのだろうか。おそらくそれは、私たちがそなえている秩序感覚のようなものに他を合わせたいからである。簡単に言うと、人は感性のいわば引き出しを持っており、見るもの聞くものを整理しては引き出しにしまっておく。全てを整理整頓できるわけではないけれど、可能なかぎりそれをしたいとは願っているようだ。つまり、そうしないと、身辺に不可解な事物が溢れかえってしまうわけで、不安にさいなまれかねない。野の花を摘んで来て、花瓶に挿す。このときに、ちょちょっと前後ろを整える。このことと筍に前後ろを見ることとは、同じ整理の感性に発しているのだ。『美作』(2005)所収。(清水哲男)


June 0362005

 慷慨のうた世にすたれ瓜の花

                           大串 章

語は「瓜の花」で夏。胡瓜、南瓜、マクワウリ、糸瓜やひょうたんなど、ひょうたん科瓜類の花の総称だ。「慷慨(こうがい)」は、世の中や自分の運命を憤り嘆くこと。悲憤慷慨。作者が「慷慨のうた」というとき、どのあたりのうたをイメージしたのだろうか。典型には、たとえば戦前の「青年日本の歌」(三上卓・作詞作曲)がある。「汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛び 混濁の世に我れ立てば 義憤に燃えて血潮湧く」。三上卓は五・一五事件の決起将校の一人で、この歌は「昭和維新の歌」として、当時の若者たちに広く歌われたという。また広い意味では、「起て、飢えたるものよ」の「インターナショナル」なども慷慨歌に入れてよいだろう。そして時が過ぎ、いまやそうした歌はすっかりすたれてしまった。思い出す人も、もう少ない。それはあたかも、黄色い強烈な色彩で咲きながら、濃い緑の葉の奥のほうでひっそりと萎えている「瓜の花」を思わせる。と同時に、瓜の花は昨日も今日もそして明日も、凡々として過ぎてゆく日常の時間を暗示している。平凡な日々に「慷慨」の気はありえない。もとより作者は乱世を好むものではないけれど、「慷慨のうた」に血をわかすような若者の意気が沈滞してしまったことにも、一抹の寂しさを覚えているのではなかろうか。私の「瓜の花」は、戦中戦後の食糧難をしのいだときに、いやというほど目にした南瓜の花だ。そのころにはまだ、少年たちにすら「慷慨のうた」があった。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


June 0462005

 白玉やばくちのあとのはしたがね

                           吉田汀史

語は「白玉」で夏。花札か麻雀か、はたまた競馬競輪の類か。あるいは、もっと大きな危険を伴う金銭的な取引なのか。いずれにしても、作者は「ばくち」で損をしてまった。落胆というよりも、茫然としながら、冷たい「白玉」を口にしている。純心の象徴のような白玉と、かたや無頼の極のようなばくちとの取り合わせ。無頼の果ての白玉は、さぞや目にも舌にもしみたことだろう。そして、手元に残ったのはわずかな金だ。だが、この貴重な金を「はしたがね」と言い捨てるところに、作者の負けん気があらわれていて、私などは凄いなと思ってしまう。侠気の美学とでも言おうか、そういえばいわゆる博才のある人のほうが、金銭を「はしたがね」とか「あぶくぜに」とかと言いなしているようだ。ゼニカネに執着してばくちを打つのではなく、あくまでも勝負にこだわって打つ姿勢を強調するのである。勝負が第一で、ゼニカネは単に後からついてきたりこなかったりするだけの話というわけだろう。からきし博才のない私には、言葉だけでもとうていついていけない。それはともかく、こうした侠気の美学が表舞台に登場することはなかなかないが、しかし、私たちの生活の底流にはいつも脈々と流れているのである以上、もっと詠まれてよいテーマの一つであると思う。それに白玉ばかりをいくら見つめても、この句以上にその純白を描くことは難しそうだ。俳誌「航標」(2005年6月号)所載。(清水哲男)


June 0562005

 薄暑の旅の酒まづし飯まづし

                           田中裕明

語は「薄暑」で夏。初夏の候の少し暑さを覚えるくらいになった気候のこと。昨日、昨年末に他界した作者の主宰していた「ゆう」の終刊号(2005年4月20日発行の奥付・通巻64号)が届いた。ほとんどのページが、田中裕明と同人たちの句で構成された特集「ゆう歳時記」にあてられている。結社の合同句集は珍しくないけれど、季節や季語ごとに句が分類整理された集成は珍しい。それだけ手間ひまを要するからだろうが、一読者にしてみると、やはり歳時記形式のほうが何かと便利でありがたい。主宰者をはじめとする諸氏の句柄の特長もよくわかるので、「ゆう」が「ゆう」たる所以もよく呑み込めたような気がする。掲句は、同誌より。一読、長く闘病生活をつづけていた詩人・黒田喜夫が言っていたのを思い出した。「病人には、中途半端な気候がいちばんコタえる。むしろ寒いなら寒い、暑いなら暑いほうが調子が良いんです」。このときの作者も体調がすぐれずに、同じような不快感を覚えていたのではあるまいか。だとすれば、気分の乗らない「旅」であり、酒も飯も美味かろうはずはない。「まづし」「まづし」の二度の断定に、どうにもならない体調不良がくっきりと刻されていていたましい。世の薄暑の句には夏間近の期待を込めたものが多いなかで、これはまたなんという鬱陶しさだろう。先日の風邪からまだ完全には立ち直れないでいる私には、身につまされるような一句であった。このところの東京地方も、なにやらはっきりしない中途半端な気候がつづいていて不快である。(清水哲男)


June 0662005

 天井に投げてもみたり籠枕

                           岩淵喜代子

語は「籠枕(かごまくら)」で夏。竹や籐(とう)で籠目に編んで、箱枕やくくり枕の形につくったもの。私は持っていないけれど、見た目には涼しそうだ。さて、作者はその枕を「天井」にまで投げ上げてみたとがあると言うのである。思わず笑ってしまった。が、笑った後に、何かしんとした感情も残った。作者が枕を投げ上げたのは、べつに意味あることをしようとしたからではない。ほとんど衝動的に放り上げたのだろうが、こうした衝動は、それが引き起こす行為の過程や結果に意味があろうがなかろうが、人間誰もに自然にわいてくるものだろう。つまり、枕を投げ上げた行為は突飛に写るとしても、その行為の根にある衝動は万人に思い当たる態のものなのである。だから、笑ったのは直接的には作者の不可解な行為に対してなのだが、笑いの対象は、まわりまわれば実は自分自身のこれに似た行為に対してであるということになってくる。このように、その場に誰かがいあわせたとしたら、なんとも不可思議に写るであろう行為を、私たちは日常的に繁く行っているはずである。ひとりでいる気安さからではあるとしても、しかし、こうした行為を抜きにしては、社会的世間的な他者との緊張した交流もまた無いのだと、私は考えている。したがって、しんとせざるを得なかった。そしてまた句に戻り、そこでまた笑ってしまい、それからまたしんとなる……。『硝子の仲間』(2004)所収。(清水哲男)


June 0762005

 勤の鞄しかと抱へてナイター観る

                           瀧 春一

語は「ナイター(ナイト・ゲーム)」で夏。懐かしいような観戦風景だ。実直なサラリーマンが、ちょっと身をこごめるようにして「勤(つとめ)の鞄」を膝の上に抱え、ナイト・ゲームに見入っている。抱えているのはシートが狭いせいもあるが、連れがいないせいでもある。一人で見に来ているのだ。だから、大切な鞄をシートの下に置くなどしていると、安心できない。試合に集中するためには、やはりこれに限ると抱え込んでいるというわけだ。一人の庶民のささやかな楽しみの場としての野球場……。昨今のドーム球場からは、すっかりこんな雰囲気が失われてしまった。他人のことは言えないけれど、いまのスタンドには一人で観に来ている客は珍しいのではなかろうか。たいていが友人や家族と連れ立って来ていて、むろんそれには別の楽しさもあるのだが、どことなく野球を観るというよりもお祭り見物の雰囲気があり気にかかる。昔は作者のような人たちが大勢いて、ヤジも玄人ぽかったし、なによりも野球好きの雰囲気が一人ひとりから滲み出ていた。こうした観客がいたおかげで、選手もちゃんと野球をやれていたのだろう。当時、打者を敬遠している途中でスチールされるなんて馬鹿なことをやったとすれば、そのバッテリーは二度と立ち上がれないほどの厳しい状態に陥ったにちがいない。でも、いまはお祭りだから、その場の笑い話ですんでしまう。ああ、後楽園球場よ、もう一度。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 0862005

 梅雨よわが名刀肥後ノ守錆びたり

                           原子公平

語は「梅雨」で夏。作者、晩年の句。慷慨句とでも言うべきか。茫々たる梅雨のなか、もはや沈滞した気分を払いのけるでもなく、鬱々と楽しめぬままに過ごしている。これで若ければ、なにくその気概もわいてきたろうが、そんな気力も出てこない。このときに「肥後ノ守(ひごのかみ)」とは、いわば若い気力の代名詞だろう。昔の子供はみな、この肥後ノ守という名前の小刀(こがたな)を携帯していた。直接的な用途は鉛筆を削るためなのだが、なにせ小なりといえども刃物なのだから、実にさまざまな場面で活用されたものである。私の場合で言うと、蛙の解剖から野球のバット作りまで、教室の机にイニシァルを刻んだり、茱萸などの枝を伐ったりと、実に用途はバラエティ豊かなものがあった。たまに忘れて学校に行くと、なんだか自分が頼りなく思えたのだから、単なる鉛筆削りの道具以上の意味合いがあったことは確かだ。したがって、上級生くらいになるとときどき砥石で研いでは切れ味を確保することになる。まさに「名刀」扱いだった。でも、喧嘩に使われることは皆無に近かった。それこそ小なりといえどもが、昔の子供には節度を逸脱しないプライドがあったからである。そんなことをしたら、たちまち周囲から軽蔑される環境もあった。このような体験を持っていると、この雨の季節に掲句を吐いた作者の心情は痛いほどによくわかる。ならば「老いる」とは、いたましい存在になるだけなのか。私は私の肥後ノ守を、いま見つめなおしている最中である。いささかの錆は、隠し難くあるような。『夢明り』(2001)所収。(清水哲男)


June 0962005

 異腹の子等の面輪や蛍籠

                           西島麦南

語は「蛍籠」で夏。作者の私生活のことは何も知らないので、この「子等」が実子なのか他人の子供なのかは、句だけからではわからない。二人の子供が頬を寄せあうようにして、一つの蛍籠をのぞきこんでいる。その様子を作者が微笑しつつ眺めている図だが、実は二人の子供の母親はそれぞれに違うのだ。この関係を俗に「異腹」と言い、作者は「ふたはら」と読ませている。が、調べてみると『広辞苑』などには「いふく」ないしは「ことはら」の読みで載っていて。「ふたはら」の読みはない。「ふたはら」の読みのほうが、より直裁的で生臭い感じがするが、句の情景にはぴったりだ。子供等はもちろん、作者も普段はさして気にかけてはいないことだけれど、こうやって二人が「面輪(おもわ)」を並べていると、やはり胸を突かれるものがある。似ているところもあるが、やはりそれぞれに異なる母親の面輪も引き継いでいる。血は争えない。もしかすると、まだ幼い二人にはこの事実は告げられていないのかもしれず、だとしたら、作者は気づいた途端にすっと二人から目を外しただろうか。子供等の無心と親(大人)の有心と……。蛍籠の醸し出す親和的な時空間に、思いがけずも吹き込んできた生臭いこの世の風である。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 1062005

 松の芯中野竹子の叱咤なお

                           的野 雄

語は「松の芯」。松の新芽、あるいは若葉のことも言う。春季の「若緑」の項に分類しておくが、掲句に詠まれた舞台などを考え合わせると、むしろ入梅前のいまごろの季節と見たほうがよさそうだ。「中野竹子」は戊辰戦争時、女性たちによる薙刀部隊を率いて新政府軍と闘った人物である。「会津藩士中野平内を父に生まれた。資性鋭敏、容姿端麗、才智は衆にすぐれ文武両道に通じ、詩文和歌などの文才もあり、度々藩の賞美をうえ典型的な会津女子としての義に徹し、その反面、ものやわらかな豊麗があふれていたといわれる。明治元年八月戊辰戦争では、柳橋の戦いに挑み、男子も及ばぬ奮戦をしたが、虚しく西軍の凶弾に倒れた。その首級は翌朝、農兵により坂下に持ち帰られ、後に坂下町曹洞宗法界寺に埋葬された」(「うつくしま電子辞典」による)。このとき竹子、二十二歳。若き非業の最期であった。作者は「松の芯」の時期に彼の地を訪れた。すくすくと抜きん出た若緑の様子に、竹子のさもあったろうという勇姿を重ねあわせて、「叱咤なお」と彼女の激しい忠誠心を讃え追悼している。星霜移り人は去るといえども、竹子の心映えは松の緑のように蘇りつづけるだろうということだ。「武士(もののふ)の猛き心にくらぶれば数にも入らぬ我が身ながらも」。辞世の歌と言われている。『斑猫』(2002)所収。(清水哲男)


June 1162005

 闇よりも暁くるさびしさ水無月は

                           野沢節子

朝8時15分に、義母が横浜の病院で亡くなりました。関東地方に、しとしとと雨の降りはじめた時間でした。八十五歳。元来は社交的で明るい女性でしたが、連れ合いに先立たれてからは急激に元気を失って……。句の季語は「水無月」で夏。旧暦六月のことですから、まだ皐月のいまの候にはマッチしません。しかも作者の「さびしさ」の内容もわかりません。が、義母の訃報に接して、自然に追悼の心情と重なってきましたので、ここに掲載して哀悼の意を表することにしました。個人的なことで、読者諸兄姉には申しわけありません。なお、明日の当欄は、もしかすると句のみの掲載となる可能性があります。鑑賞はのちほど埋め合わせて書きますので、その際にはなにとぞ当方の事情ご拝察の上、ご寛容のほどを。(清水哲男)


June 1262005

 だんだんにけぶりて梅雨の木となれり

                           石田勝彦

語は「梅雨」で夏。しとしとと降りはじめた六月の雨。青葉の盛んな木は、はじめのうちは雨にあらがうような様子を見せていた。が、それもひそやかな雨に「だんだんに」けぶってゆくうちに、いつしかしっくりと梅雨に似合う木と化したと言うのである。句意はこんなところだろうが、私なりの掲句への関心は、作者が何故このような情景を詠んだのかという点にある。というのも、この情景は格別に新鮮でもなければ意外性があるわけでもないからだ。なのに、この素材で一句を構えた作者の発想の根っ子には何があるのだろうか。句にするからには、作者はこのいわば平凡な情景に面白さを覚えていることになる。その意識の先には、煎じ詰めれば自然の秩序への憧憬といったものがあるのだろう。いろいろな現象や事物が、収まるべきところに収まる。この自然の秩序に目が向くのは、やはり作者自身も収まるところに収まりたいからだと言える。つまり作者は人であって木ではないけれど、こうした情景に触れるにつけ、人であるよりもむしろ木でありたいと願望するのだ。言い換えれば、小癪な人智で自然に拮抗するのではなく、人智を離れて自然に同化したい心持ちからの作である。八十歳を越えた作者の年輪が、しみじみと腑に落ちる一句だ。『秋興以後』(2005)所収。(清水哲男)


June 1362005

 出来たての夏雲かじる麒麟かな

                           津田ひびき

く晴れた日の動物園だ。長い首を伸ばして、麒麟(きりん)が「出来たての夏の雲」をかじっている。「出来たての」、つまりいちばんふわふわとして美味しそうな雲を食べているのだ。真っ青な空に黄色い麒麟が印象的で、そういうことも含めて、ちょっと谷内六郎の一連の絵を想わせる。掲句も谷内の絵も、いわば童心で描いた世界として微笑する読者は多いだろう。ところで私はへそ曲がりのせいか、一口に童心の所産とまとめて、そこで終わってしまうことには違和感がある。当たり前のことながら、これらは子供の表現ではなく、れっきとした大人の発想による世界だからだ。大人である作者が、わざわざ子供の心をくぐらせて得た世界である。だから、谷内の絵がどこか哀調を帯びているのに似て、掲句もまた単純におおらかであるとは言い切れない。この麒麟、想像すればするほどに、悲しげな目をしているような感じがしてくる。このときに出来たての夏雲は、遠いふるさとの大空の雲なのではあるまいか。その雲にいま懸命に舌を伸ばしているのかと思えば、切なくなってくる。作者が故意に童心をくぐらせたのは、情景に無垢なまなざしを仮設することで、見えてくる真実を確かめたかったのだと思う。子供には絶対に見えるはずのない真実が、かつて子供であった者には童心のフィルターを通して見えてくるという皮肉な回路は、やはり切ないなと言うしかない。『玩具箱』(2005)所収。(清水哲男)


June 1462005

 目まといの如く前行く日傘かな

                           日高二男

語は「日傘」で夏。「目まとい(目纏い)」は、夏の野道などで目の前を飛び交いつきまとうユスリカなどの小虫を言い、これも夏の季語だ。「まくなぎ」とも。人同士がやっとすれ違えるほどの細い道を、作者は少し急ぎ足で歩いているのだろう。ところが前を行く「日傘」の女性が、右に左に揺れるように歩いていて、なかなか追い越せない。その彼女の様子がまるで「目まとい」のようだなと、ふと思いつき、苦笑している図だ。我が家の近所の歩道もかなり細いので、こういうことがまま起きる。よほど急いでいるときには「すみません」と声をかけざるを得ないけれど、たいていの場合には仕方なく二三歩離れてついていく。そのうちに気づいてくれるだろうと思い、むろん気づいてくれる人のほうが多いのだが、なかにはまったく背後の気配を感じない人もいたりして、苦笑が苛立ちになることもある。おそらく何か考え事をしているのか、一種の放心状態にあるのか、べつに鈍感というわけではないのだろうが、天下の往来にはいろいろな人が歩いているものだ。それにつけても細い道では、歩行者ばかりではなく自転車の人も加わるので、苛立ちどころか物理的な危険を感じることもある。夜中に背後から無灯火ですうっとやってきて、ベルも鳴らさずものも言わずにすり抜けていく奴がいる。先方にはこちらが「目まとい」なのだろうが、それとこれとは話が別だ。『四季吟詠句集19』(2005・東京四季出版)所載。(清水哲男)


June 1562005

 句集読むはづかしさ弱冷房車

                           松村武雄

語は「冷房」で夏。電車のなかで、どんな読み物を読もうともむろん自由だ。だが、電車のなかも一つの世間であるから、車内には車内なりの世間体というものがあるし、やはり多少は気になる。新聞や週刊誌でも開くページが気になるし、文庫本でもあまりくだけた内容のものは避けたりする。つまり、車内の多くの人は世間を意識して読み物なりページなりを広げているのだ。だから、作者の言うように「句集」を読むのはちと恥ずかしい。なんとなく、世間の目がいぶかしげにこちらを見ているような気がするからだ。詩集や歌集でも同じことで、実際私にも経験があるけれど、その種の本を広げた途端に、世間から孤立した感じがしてしまう。ひとりで勝手に「はづかしさ」を覚えてしまうのである。しかも作者が乗っているのは「弱冷房車」だ。よほど無頓着な人は別にして、冷房車を避けて数の少ない弱冷房車に乗るのは意識的である。その車両に乗りたくて、わざわざ選んで乗るわけだ。ということは、「弱」の乗客の間には、たまたま乗り合わせたとはいえ、一般の冷房車の雑多な客よりもいわば同類としての意識が高い。実際に他の客の意識がどうであれ、選んで乗った当人にはそう感じられる空間である。したがって、弱冷房車の世間は、そうでない車両のそれよりも濃密なのであって、そこで奇異に思われるかもしれない「句集」をあえて開いたのだから、これはもう「はづかしさ」と言うしかないのであった。とまあ、車中の読書にもいろいろと気を使うものでありマス。『雪間以後』(2003)所収。(清水哲男)


June 1662005

 堀こえてにはとりの声梅雨小止む

                           星野恒彦

陶しい梅雨の長雨が、どういう加減からか、すうっと降り止んだ。心無しか、空も明るくなっているようだ。こういうときには単純に心が明るくなってくるものだが、その明るい心が、堀の向こう側で鳴いている「にはとりの声」を捉えたのである。「声」はいわゆる「コケコッコー」の鶏鳴ではなく、「ククククッ」といったような雌鳥のかすかな鳴き声だろう。このときに限らず、その声はいつでも聞こえているはずなのだが、普段はほとんど気がつかない。すなわち、私たちの耳はそのときの心持ちによって、聞いたり聞かなかったりしているわけだ。長雨の小休止でほっとした耳に、同じように鬱陶しさを耐えていたのであろう「にはとり」の洩らした鳴き声の、何と明るく心地よいことか。そのかすかな声には、同じ生き物として通い合う心が宿っているかのようである。句集によれば、作句は1985年(昭和六十年)だ。そんなに昔の句ではない。となれば、この声は遠くの大きな養鶏場から聞こえてきたとも解釈できるが、しかし「にはとり」の表記の意図は、やはり多くても二三羽の鶏を指しているのだと思われる。小さな農家の小さな鶏小屋。そんな懐かしいような風景が堀の向こう側にあってこそ、この句は生きてくる。たとえ想像句であったとしても、そんな現実の世界のなかで味わいたいものだ。『連凧』(1986)所収。(清水哲男)


June 1762005

 蝸牛天を仰いで笑い出す

                           吉田香津代

語は「蝸牛(かたつむり)」で夏。どう受け取ったら良いのか、半日ほど思いあぐねていた。想像の世界にせよ、蝸牛に「笑い」は結びつけにくいからだ。漫画化されたキャラクターを見ても、せいぜいが微笑どまりで、「笑い出す」様子にはほど遠い。私たちの常識的な感覚からすると、蝸牛は忍従の生き物のようである。ひたすら何かにじっと耐えていて、不平や不満もすべて飲み下し、日の当らないところで静かに一生を終えていくという具合だ。そんな蝸牛が、あるとき突然に「天を仰いで笑い出」したというのだから、ギクリとさせられる。しかもこの笑いは、どう考えても明るいそれではなく、むしろ悲鳴に近い笑いのようにしか写らない。今風の言葉で言えば、この蝸牛はこのときついに「切れた」のではなかろうか。そう考えると、実際に「切れた」のは蝸牛ではなく、作者その人であることに気がつき、ようやく句の姿が見えてきたように思えたのだった。いや、より正確に言えば、作者の何かに鬱屈した心が自身で切れる寸前に、蝸牛に乗り移って「切れさせた」のである。絶対に笑い出すはずのない蝸牛を思い切り笑わせることで、作者の抑圧された心情を少しは解きほぐしたかったのだと見てもよいだろう。と思って蝸牛をよくよく見直すと、もはやヒステリックな笑いは消えていて、おだやかな微笑に変わっている。……違うかなあ、難しい句だ。『白夜』(2005)所収。(清水哲男)


June 1862005

 薔薇の園少女パレット開けずじまひ

                           津田清子

語は「薔薇」で夏。「少女」は同行の女の子だろうか。あるいは、作者の少女期を思い出しての作かもしれない。いずれにしても、薔薇の花を描こうとせっかく用意していった絵の道具を、とうとう「開(あ)けずじまひ」にしてしまったと言うのである。あまりの薔薇の華麗さに気後れしたこともあるかもしれないが、むしろ出かける前に想像していた「薔薇の園」の様子が、予想とはかけ離れていたことのほうが大きかったのではあるまいか。たとえば、こんなに見物の人が多いとはだとか、花の種類の多さに戸惑ったとか……。それですっかり、描きたい気持ちが萎えてしまったのだ。「パレット」を持っていくくらいだから、絵には自信があるのだろう。だが、そういう場所で絵を描くためには、大きく言えばその場の環境全体に馴染むことが先決だ。絵の道具があっても、場所を味方にできないとどうにもならない。そしてこのことは何も絵に限ったことではないのであって、人生諸事においても、ついにパレットを開かずに終わることの何と多いことだろう。私なども、つい言うべきことを言いそびれたり、なすべきことを他日に延ばしてしまったりと、その場の雰囲気に負けてしまったことは、世間知らずの若年のときほど多かったように思う。何もしなかったこと、できなかったことの積み重ねも、また人生である。その意味においては、句の少女はやはり作者の若き日の姿だと読むほうが適当かなと、だんだんそんな気がしてきた。「俳句研究」(2005年7月号)所載。(清水哲男)


June 1962005

 悲壮なる父の為にもその日あり

                           相生垣瓜人

語は「父の日」で夏。六月の第三日曜日。母の日に対して「父の日」もあるべきだというアメリカのJ・B・ドット夫人の提唱によって1940年に設けられた。俳句の季語として登場したのは戦後もだいぶ経ってかららしく、1955年(昭和三十年)に発行された角川版の歳時記には載っていない。克明に調べたわけではないが、手元の歳時記で見ると、1974年(昭和四十九年)の角川版には載っているので、一般的になりはじめたのはこのあたりからなのだろう。その解説に曰く。「母の日ほど一般化していないようだが、徐々に普及しつつある」。定着するのかどうか、なんとなく自信のなさそうな書きぶりだ。現在の角川版からは、さすがにこの一行は省かれているけれど、比較的新しい平井照敏の編纂になる河出文庫版(1989年)でも、筆は鈍い。「母も父もともに感謝されてしかるべきだが、父の日は母の日に比べてあまりおこなわれないようである。てれくさいのか、こわいのか、面倒なのか、父はなんとなく孤独な奉仕者である」。したがって掲載されている例句もあまりふるわず、そんななかで、掲句は積極的に「そうだ、父の日があってしかるべきだ」と膝を打っている点で珍しい。現代に見られるように、父親と友だちのようにつきあうなど考えられず、ただただ存在自体がおそろしかった時代の句だ。そんな父親との関係とも言えぬ関係のなかで、一家を背負った父の「悲壮」をきちんと汲み取っていた作者の優しい気持ちが嬉しい。悲壮の中味はわからないが、戦中戦後の困難な時代の父親のありようだろうと、勝手に読んでおく。『合本・俳句歳時記』(1974・角川書店)他に所載。(清水哲男)


June 2062005

 花氷うつくしきこゑ冷淡に

                           石原舟月

語は「花氷(はなごおり)」で夏。冷房が普及してからは、あまり見かけなくなった。草花などをなかに入れて凍らせた氷柱で、よくホテルやデパート、劇場やレストランなどに飾ってあった。通りがかりに、ちょっと指先で触れてみたりして……。句のシチュエーションは不明だが、どこかそうした場所での印象だろう。たとえばデパートで目的の商品の売り場がわからず案内嬢に訪ねたところ、「うつくしきこゑ」で教えてくれた。それはよいとしても、彼女の「こゑ」がなんだかとても「冷淡に」聞こえたというのだ。そう聞こえたのはおそらく、そこに「花氷」があったからで、なかったとしたら、単に「事務的に」聞こえる声だったのではあるまいか。それがひんやりとした花氷の置かれた気分の良い空間で、てきぱきと事務的な口調で、しかも「うつくしきこゑ」で答えられたものだから、つい「もう少し親身になってくれても」と思ってしまったというところだ。「うつくしきこゑ」は、うつくしいだけに誤解されやすい。それもたいていが、冷淡(そっけない)と受け取られてしまいがちだ。はじめて放送局のアナウンス・ルームに入ったときの、私の印象もそうだった。そこにいる人はみな「うつくしきこゑ」の持ち主で、みんながラジオのように明晰にしゃべっていて、私にはとてもついていけない浮世離れした世界に思われたものだ。慣れればそこもありふれた世間の一つにすぎなかったのだが、「うつくしきこゑ」たちの醸し出していた独特の醒めた雰囲気は忘れられない。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 2162005

 ああ今日が百日草の一日目

                           櫂未知子

語は「百日草」で夏。夏の暑い盛りを咲き通す、憎らしいくらいに丈夫な花だ。メキシコ原産と聞けばうなずけるが、それにしても……。もっとも、名前だけなら「千日草(「千日紅」とも)」というはるかに凄いのがあって、こちらは枯れても花の色が変わらないというから、なかなかにしぶとい。むろん千日も咲いているわけではなく、両者の花期はほぼ同じである。ところで作者は、かなりの夏好きだとお見受けした。咲きはじめた百日草を見つけて、「今日が一日目」だと思いなした気持ちには、すなわちこれからの長い夏への期待が込められている。まだ「一日目」だ、先は長い。そう思って、わくわくしている弾んだ気持ちがよく伝わってくる。似たような発想の句としては、松本たかしの「これよりの百日草の花一つ」を思い出す。だが、こちらの句には櫂句のようなわくわくぶりは感じられない。どことなく「これよりの」暑い季節を疎んでいるかのような鬱積感がある。静かな詠みぶりに、静かな不機嫌が内包されている。作者が病弱だったという先入観が働くからかもしれないのだが、同じ花を見ても、かくのごとくに截然と感情が分かれるのも人間の面白さだろう。二つの句のどちらを好むかで、読者のこの夏の健康診断ができそうだ。セレクション俳人06『櫂未知子集』(2003・邑書林)所収。(清水哲男)


June 2262005

 犀星の句の青梅に及ばねど

                           榎本好宏

語は「青梅(あおうめ)」で夏。「犀星の句の青梅」とは、おそらく有名な「青梅の尻うつくしくそろひけり」のそれだろう。いかにも女人礼賛者の室生犀星らしく、青梅の「尻」にも女性を感じて、ひそやかなエロティシズムを楽しんでいる。もっとも、この場合の女性は、童女と表現してもよいような小さな女の子だと思う。掲句の作者は、犀星句の青梅には及ばないにしてもと謙遜はしているが、かなりの出来映えに満足している様子だ。よく晴れた日、青葉の茂みを透かして見える青梅の珠はことのほか美しく、作者はうっとりと見惚れている。見惚れながら、犀星の青梅もかくやと思ったのだろう。が、そこをあえて一歩しりぞいて「及ばねど」と詠み、その謙遜がつまりは自賛につながるところが日本人の美学というものである。しかし日本人もだいぶ変わってきたから、この句を書いてある字義通りに、額面通りに受け取る人のほうが多いかもしれない。でもそう読んでしまうと、この句の面白さは霧散してしまうことになる。どこが面白いのかが、わからなくなってしまう。やはりあくまでも、心底での作者の気持ちは犀星の青梅と張り合っているのである。実は、我が家にも小さな梅の木があっていま実をつけているが、とても尻をそろえるほどに数はならないので、こちらは字義通りに及ばない。だから、無念にもこういう句は詠めない宿命にある(笑)。俳誌「件」(第四号・2005年6月)所載。(清水哲男)


June 2362005

 噛めば苦そうな不味そうな蛍かな

                           辻貨物船

語は「蛍」で夏。たしかにねえ、そんな気はするけどね。作者の辻征夫(「貨物船」は俳号)にゲテモノ食いの趣味はなかったはずだから、この発想はどこから出てきたのだろうか。句会の兼題に「蛍」が出て困り果て、窮余の一策で新奇な句をねらったのかもしれないが、それにしても蛍を噛むとは尋常じゃない。でも、人間は長い歴史の中でたいていのものは口に入れてきただろうから、蛍だって実際に食べてみた奴がいたとは思う。あんなに目立つうえに採取しやすい虫が、貪欲な人間の標的にならなかったはずはないからだ。そのときの様子を想像することは、それこそ私の趣味じゃないので止めておくけれど、少なくとも掲句の作者はちらりとは噛んだ感じを想像したに違いない。たとえ軽い冗談のような気持ちでの作句だったにせよ、物を表現するとはそういうことだ。ほんのちっぽけな思いつきにもせよ、発想者は発想の自己責任を取らされてしまうのである。で、作者は想像のなかで吐き出した。変なことを思いついちゃったなと、苦い表情の作者が目に浮かぶ。蛍よりもイメージ的にはマシな「薔薇」を食べてみたのは、これまた詩人の吉原幸子だった。実際に花びらを味わおうとして食べたのだそうだが、「あんなもの、不味くて不味くて……」とチョー不愉快そうな顔つきで話してくれたっけ。そのときのことは彼女のエッセイにもあるはずだが、私は話だけで十分だったので読んでいない。『貨物船句集』(2001)所収。(清水哲男)


June 2462005

 冷房の大スーパーに恩師老ゆ

                           林 朋子

語は「冷房」で夏。長らく会うことのなかった「恩師」を、偶然にスーパーで見かけたのだろう。その人は、たぶん男性だ。「大スーパー」だから、二人の距離はだいぶ離れている。目撃しての第一印象は、「ああ、ずいぶんと歳をとられたなあ」ということであった。白髪が目立ち、姿勢も昔のようにしゃんとはしていない。近寄って挨拶するのも、なにかはばかられるような雰囲気である。スーパーでの男の買い物客は目立つ。とくに老人となると、よんどころなく買い物に来ているような雰囲気が濃厚で、気にかかる。妻や家族はいないのだろうか、あるいは病身の妻を抱えてるのだろうかなどと、むろん深く詮索するつもりもないのだが、ちらりとそんなことを思ってしまうのだ。ぎんぎんに冷房の効いた店内を、慣れない足取りで歩いている様子は、溌剌としていないだけに余計に年齢を感じさせるようなところがある。この後、作者はどうしたろうか。句の調子からして、ついに声をかけそびれたような気がするのだが……。これで見かけた場所が書店だったりすると、恩師もさまになっているので挨拶はしやすかっのだろうが、場所と人との関係は面白いものだ。ところで、私もたまにスーパーに買い物に行く。周囲の主婦たちのてきぱきとした動向に気を取られつつ、ついつられて余計なものを買ってしまったりする。目立っているのだろうな、おそらく私も。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)


June 2562005

 半袖やシャガールの娘は宙に浮く

                           三井葉子

元には「半袖」を季語の項目とした歳時記はないが、当サイトでは「夏シャツ」に分類しておく。作者は詩人。この夏、初めて長袖から半袖にしたときの連想だろう。軽やかな着心地が、身体の浮遊感を呼び起こしたのだ。そういえば、宙に浮いているシャガールの絵の「娘(こ)」も半袖だったと思い出し、半袖を着た軽快感も手伝って、気持ちも自然に若やいだのだった。シャガールの作品は多いので、作者がどの絵の娘を指して詠んでいるのかは不明だ。が、もしかすると絵は特定されておらず、彼の絵に頻出する幻想的な女性たちが醸し出している雰囲気を折り込んだ句かもしれない。人魚のような女性像もそうだが、シャガールの優しい色使いもまた、どちらかといえば女性好みだから、作者の連想には説得力がある。かりに男の作者が女性の半袖姿を見て詠むとしても、おそらくシャガールは出てこないと思う。半袖で思い出した。小学生のとき、雑誌に載っていたイギリス切手の写真に、エリザベス女王の横を向いた半袖姿の肖像画があった。むろんシャツではなく半袖のドレス姿だったのだけれど、思わず私は母に言った。「女王って、すごく太い腕してるなあ」。「女の人は脂肪が多いからだよ」とつまらなそうに母は言い、咄嗟に私は母の腕を盗み見たが、その腕は女王の半分くらいしかない細さだった。「そうかあ、脂肪かあ」と私は口に出し、「きっと美味しいものばかり食べてるからだな」とは口に出さなかった。『桃』(2005)所収。(清水哲男)


June 2662005

 家中が昼寝してをり猫までも

                           五十嵐播水

語は「昼寝」で夏。この蒸し暑さで、例年より早く昼寝モードに入ってしまった。昼食後、すぐに一眠り。建設的な習慣はなかなか身につかないが、こういうことだとたちまち身になじんでしまう。心身が、生来無精向きにできているようだ。さて、掲句。まことに長閑で平和な情景だ。屈託のない詠みぶりとあいまって、解釈の分かれる余地はないだろう。気がつけば、自分を除いて「猫までも」が熟睡中だ。ならば当方もと、微笑しつつ作者も枕を引き寄せたのではあるまいか。ただし、人間を長くやっていると、こうした明るい句にもちょっぴり哀しみの影を感じるということが起きてくる。すなわち、長い家族の歴史の中で、このように一種幸福な状態は、そう長くはつづかないことを知ってしまっているからだ。そのうちに、いま昼寝をしている誰かは家を出て行き、誰かは欠けてゆく。家族の歴史にも盛りのときがあり、句の家族はまさに盛りの時期にあるわけだけれど、哀しいかな、今が盛りだとは誰もが気がつかない。後になって振り返ってみて、はじめてこの呑気な情景の見られたころが、結局は家族のいちばん良いときだったと思うことができるのである。切ないものですね。あなたのご家庭では、如何でしょうか。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 2762005

 汗かき汗かき月曜はすぐ来たる

                           三木正美

語は「汗」で夏。まことにもって、おっしゃる通り。働く人には、すぐに「月曜」がやってくる。ただそれだけの句であるが、作者が月曜をうとましく思っていないところが良い。「ブルー・マンデー」なんて言葉もあるようだけれど、掲句にはむしろ月曜を待ちかねていた気持ちが込められている。「汗かき汗かき」という健康的なリフレーンが、そのことを暗黙のうちに語っているのだ。それも道理で、自注を見ると「主人の開業に伴い未知の医療の世界へ」とある。つづけて「毎日が汗ならぬ冷や汗の連続」と書かれてはいるが、この書きぶりにも新しい仕事に張り切って取り組んでいる様子がうかがえる。誰もがこんな気持ちで月曜の朝を迎えられれば良いのに、そこがなかなかそうはいかないのが浮き世の常だ。私など、月曜から金曜までの職場を止めて二年以上経っても、いまだに今日が月曜かと思うと、ギクッとしたりする。条件反射とでも言うのだろうか、長年の間に染み付いた月曜アレルギーは、そう簡単にはおさまってくれそうにない。思い返せば、月曜を張り切って迎えていたのは、サラリーマン生活の最初のうちだけだった。それこそ「未知の世界」への好奇心が溢れていて、休日なんぞは無ければよいのにと思っていたくらいだから、変われば変わったものだと苦笑させられる。若くて楽しかった遠い日々よ……。「俳句」(2005年7月号)所載。(清水哲男)


June 2862005

 あなどりし四百四病の脚気病む

                           松本たかし

語は「脚気(かっけ)」で夏。ビタミンB1の不足が原因で起きる病気で、B1の消費量が多い夏場によく発症したので夏の季語とされた。「赤痢(せきり)」などとともに季語として残っているのは、よほどこの病気が蔓延したことのある証拠だ。もちろん、現在でも発症者はいる。「四百四病(しひゃくしびょう)」は疾病の総称。仏説に、人身は地・水・火・風の四大(しだい)から成り、四大調和を得なければ、地大から黄病、水大から痰病、火大から熱病、風大から風病が各101、計404病起るという。[広辞苑第五版]。要するに人間がかかりやすい病気ということだろうが、作者と同様、おおかたの人はそうしたポピュラーな病気を軽く考えてあなどっている。かかるわけはないし、仮にかかったとしても軽微ですむだろうくらいに思っているのだ。それも一理あるのであって、四百四病すべてに予防策をこうじていては身が持たない。真面目に取り組めば、そのことだけで神経衰弱にでもなってしまいそうだ。だから、あなどることもまた、生きていく上での知恵なのである。しかしそんな理屈はともあれ、実際に発症してしまうと、あわてふためく。何かの間違いであってくれればと、自分の油断に後悔する。掲句は、そんな自分のあわてふためきぶりに苦笑している図だ。めったには死に至らぬ病いだという、もう一つの「あなどり」のせいでどこか安心しているのでもある。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 2962005

 夏座敷対角線に妻のゐて

                           岡本久一

語は「夏座敷」。元来の意味は襖、障子などを外して、風通しをよくし、夏向きの家具、調度を置いた座敷のことだ。現代の家では、窓を広く開け放ったりして、風の通りをよくした部屋くらいの感じが適当だろう。実際にはさして涼しくなくても、外気との触れ合いによる開放感から涼味を覚えるのである。掲句はそんな座敷か部屋で、妻と二人でくつろいでいるところか。一つの机を挟んで、妻と作者は対角線上にいる。このときに二人が最も近くなる場所は隣り同士であり、次が正面に向き合う位置であり、いちばん遠いのが対角線上だ。つまり、二人はいちばん遠いところに坐っているわけだが、べつに互いが意識してそうしているのではない。長年の結婚生活のなかで、ごく自然にそうなってきたのだ。句の「対角線」は、だから二次元的な距離の遠さを表すよりも、むしろ三次元的な二人での生活時間の長さを言っている。隣り同士から対角線上まで過ごしてきた時間……。これを再び二次元化すると、思えば遠くまで来たものだという感慨につながる。窓からの風も心地よい。俗に「遠くて近きは男女の仲」と言うけれど、ならば「近くて遠きが夫婦の仲」なのか。なあんて、混ぜっ返しては作者に失礼だ。へぇ、お後がよろしいようで。有楽町メセナ句会合同句集『毬音』(2005年5月)所載。(清水哲男)


June 3062005

 三つ矢サイダーきやうだい毀れやすきかな

                           奥田筆子

語は「サイダー」で夏。「サイダー」といえば「三つ矢」。正確には「三ツ矢」だが、かれこれ120年の歴史を持つ。昔は現在のように一人用の容器ではなく、大きな瓶に入っていたので、家族で注ぎ分けて飲んだものだ。作者はいま、独りで飲んでいる。飲みながら、サイダーを好んだ子供の頃を思い出している。そして、あんなにも仲良く分け合って飲んだ「きやうだい(兄弟姉妹)」とも、すっかり疎遠になってしまっていることを、何か夢のように感じているのだ。むろん寂しさもあるが、親密な関係があまりにもあっけなく「毀れ(こわれ)」てしまったことへの不思議の気持ちのほうが強いのではあるまいか。日盛りのなかのサイダー。いわば向日的な明るい飲み物であるだけに、「きやうだい」間にどんな事情があったにせよ、疎遠になってからの来し方が信じられないほどの昏さを伴って思い返されるのである。別の作者で、もう一句。「サイダーに咽せて疎遠になる兆し」(平山道子)。相手との会話が、いまひとつ弾まないのだろう。咽(む)せたくて咽せたわけではなかろうが、しかし心のどこかでは、気まずい雰囲気をとりつくろうために咽せたような気もしている。そんな作者に、相手は「だいじょうぶ?」と声をかけるでもなく……。相手は同性だと見た。これまた明るい飲み物を媒介にして、昏さを無理無く引き出している。以上、サイダー受難の二句であります。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・夏』(2004)所載。(清水哲男)




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