機内食のようですね。総じて機内食は美味しくないけれどお国柄を示す見かけは楽しい。




2005ソスN6ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0562005

 薄暑の旅の酒まづし飯まづし

                           田中裕明

語は「薄暑」で夏。初夏の候の少し暑さを覚えるくらいになった気候のこと。昨日、昨年末に他界した作者の主宰していた「ゆう」の終刊号(2005年4月20日発行の奥付・通巻64号)が届いた。ほとんどのページが、田中裕明と同人たちの句で構成された特集「ゆう歳時記」にあてられている。結社の合同句集は珍しくないけれど、季節や季語ごとに句が分類整理された集成は珍しい。それだけ手間ひまを要するからだろうが、一読者にしてみると、やはり歳時記形式のほうが何かと便利でありがたい。主宰者をはじめとする諸氏の句柄の特長もよくわかるので、「ゆう」が「ゆう」たる所以もよく呑み込めたような気がする。掲句は、同誌より。一読、長く闘病生活をつづけていた詩人・黒田喜夫が言っていたのを思い出した。「病人には、中途半端な気候がいちばんコタえる。むしろ寒いなら寒い、暑いなら暑いほうが調子が良いんです」。このときの作者も体調がすぐれずに、同じような不快感を覚えていたのではあるまいか。だとすれば、気分の乗らない「旅」であり、酒も飯も美味かろうはずはない。「まづし」「まづし」の二度の断定に、どうにもならない体調不良がくっきりと刻されていていたましい。世の薄暑の句には夏間近の期待を込めたものが多いなかで、これはまたなんという鬱陶しさだろう。先日の風邪からまだ完全には立ち直れないでいる私には、身につまされるような一句であった。このところの東京地方も、なにやらはっきりしない中途半端な気候がつづいていて不快である。(清水哲男)


June 0462005

 白玉やばくちのあとのはしたがね

                           吉田汀史

語は「白玉」で夏。花札か麻雀か、はたまた競馬競輪の類か。あるいは、もっと大きな危険を伴う金銭的な取引なのか。いずれにしても、作者は「ばくち」で損をしてまった。落胆というよりも、茫然としながら、冷たい「白玉」を口にしている。純心の象徴のような白玉と、かたや無頼の極のようなばくちとの取り合わせ。無頼の果ての白玉は、さぞや目にも舌にもしみたことだろう。そして、手元に残ったのはわずかな金だ。だが、この貴重な金を「はしたがね」と言い捨てるところに、作者の負けん気があらわれていて、私などは凄いなと思ってしまう。侠気の美学とでも言おうか、そういえばいわゆる博才のある人のほうが、金銭を「はしたがね」とか「あぶくぜに」とかと言いなしているようだ。ゼニカネに執着してばくちを打つのではなく、あくまでも勝負にこだわって打つ姿勢を強調するのである。勝負が第一で、ゼニカネは単に後からついてきたりこなかったりするだけの話というわけだろう。からきし博才のない私には、言葉だけでもとうていついていけない。それはともかく、こうした侠気の美学が表舞台に登場することはなかなかないが、しかし、私たちの生活の底流にはいつも脈々と流れているのである以上、もっと詠まれてよいテーマの一つであると思う。それに白玉ばかりをいくら見つめても、この句以上にその純白を描くことは難しそうだ。俳誌「航標」(2005年6月号)所載。(清水哲男)


June 0362005

 慷慨のうた世にすたれ瓜の花

                           大串 章

語は「瓜の花」で夏。胡瓜、南瓜、マクワウリ、糸瓜やひょうたんなど、ひょうたん科瓜類の花の総称だ。「慷慨(こうがい)」は、世の中や自分の運命を憤り嘆くこと。悲憤慷慨。作者が「慷慨のうた」というとき、どのあたりのうたをイメージしたのだろうか。典型には、たとえば戦前の「青年日本の歌」(三上卓・作詞作曲)がある。「汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛び 混濁の世に我れ立てば 義憤に燃えて血潮湧く」。三上卓は五・一五事件の決起将校の一人で、この歌は「昭和維新の歌」として、当時の若者たちに広く歌われたという。また広い意味では、「起て、飢えたるものよ」の「インターナショナル」なども慷慨歌に入れてよいだろう。そして時が過ぎ、いまやそうした歌はすっかりすたれてしまった。思い出す人も、もう少ない。それはあたかも、黄色い強烈な色彩で咲きながら、濃い緑の葉の奥のほうでひっそりと萎えている「瓜の花」を思わせる。と同時に、瓜の花は昨日も今日もそして明日も、凡々として過ぎてゆく日常の時間を暗示している。平凡な日々に「慷慨」の気はありえない。もとより作者は乱世を好むものではないけれど、「慷慨のうた」に血をわかすような若者の意気が沈滞してしまったことにも、一抹の寂しさを覚えているのではなかろうか。私の「瓜の花」は、戦中戦後の食糧難をしのいだときに、いやというほど目にした南瓜の花だ。そのころにはまだ、少年たちにすら「慷慨のうた」があった。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)




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