旧暦では今日から五月。東京は明日からしばらく雨模様の予報です。梅雨入り間近……。




2005ソスN6ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0762005

 勤の鞄しかと抱へてナイター観る

                           瀧 春一

語は「ナイター(ナイト・ゲーム)」で夏。懐かしいような観戦風景だ。実直なサラリーマンが、ちょっと身をこごめるようにして「勤(つとめ)の鞄」を膝の上に抱え、ナイト・ゲームに見入っている。抱えているのはシートが狭いせいもあるが、連れがいないせいでもある。一人で見に来ているのだ。だから、大切な鞄をシートの下に置くなどしていると、安心できない。試合に集中するためには、やはりこれに限ると抱え込んでいるというわけだ。一人の庶民のささやかな楽しみの場としての野球場……。昨今のドーム球場からは、すっかりこんな雰囲気が失われてしまった。他人のことは言えないけれど、いまのスタンドには一人で観に来ている客は珍しいのではなかろうか。たいていが友人や家族と連れ立って来ていて、むろんそれには別の楽しさもあるのだが、どことなく野球を観るというよりもお祭り見物の雰囲気があり気にかかる。昔は作者のような人たちが大勢いて、ヤジも玄人ぽかったし、なによりも野球好きの雰囲気が一人ひとりから滲み出ていた。こうした観客がいたおかげで、選手もちゃんと野球をやれていたのだろう。当時、打者を敬遠している途中でスチールされるなんて馬鹿なことをやったとすれば、そのバッテリーは二度と立ち上がれないほどの厳しい状態に陥ったにちがいない。でも、いまはお祭りだから、その場の笑い話ですんでしまう。ああ、後楽園球場よ、もう一度。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 0662005

 天井に投げてもみたり籠枕

                           岩淵喜代子

語は「籠枕(かごまくら)」で夏。竹や籐(とう)で籠目に編んで、箱枕やくくり枕の形につくったもの。私は持っていないけれど、見た目には涼しそうだ。さて、作者はその枕を「天井」にまで投げ上げてみたとがあると言うのである。思わず笑ってしまった。が、笑った後に、何かしんとした感情も残った。作者が枕を投げ上げたのは、べつに意味あることをしようとしたからではない。ほとんど衝動的に放り上げたのだろうが、こうした衝動は、それが引き起こす行為の過程や結果に意味があろうがなかろうが、人間誰もに自然にわいてくるものだろう。つまり、枕を投げ上げた行為は突飛に写るとしても、その行為の根にある衝動は万人に思い当たる態のものなのである。だから、笑ったのは直接的には作者の不可解な行為に対してなのだが、笑いの対象は、まわりまわれば実は自分自身のこれに似た行為に対してであるということになってくる。このように、その場に誰かがいあわせたとしたら、なんとも不可思議に写るであろう行為を、私たちは日常的に繁く行っているはずである。ひとりでいる気安さからではあるとしても、しかし、こうした行為を抜きにしては、社会的世間的な他者との緊張した交流もまた無いのだと、私は考えている。したがって、しんとせざるを得なかった。そしてまた句に戻り、そこでまた笑ってしまい、それからまたしんとなる……。『硝子の仲間』(2004)所収。(清水哲男)


June 0562005

 薄暑の旅の酒まづし飯まづし

                           田中裕明

語は「薄暑」で夏。初夏の候の少し暑さを覚えるくらいになった気候のこと。昨日、昨年末に他界した作者の主宰していた「ゆう」の終刊号(2005年4月20日発行の奥付・通巻64号)が届いた。ほとんどのページが、田中裕明と同人たちの句で構成された特集「ゆう歳時記」にあてられている。結社の合同句集は珍しくないけれど、季節や季語ごとに句が分類整理された集成は珍しい。それだけ手間ひまを要するからだろうが、一読者にしてみると、やはり歳時記形式のほうが何かと便利でありがたい。主宰者をはじめとする諸氏の句柄の特長もよくわかるので、「ゆう」が「ゆう」たる所以もよく呑み込めたような気がする。掲句は、同誌より。一読、長く闘病生活をつづけていた詩人・黒田喜夫が言っていたのを思い出した。「病人には、中途半端な気候がいちばんコタえる。むしろ寒いなら寒い、暑いなら暑いほうが調子が良いんです」。このときの作者も体調がすぐれずに、同じような不快感を覚えていたのではあるまいか。だとすれば、気分の乗らない「旅」であり、酒も飯も美味かろうはずはない。「まづし」「まづし」の二度の断定に、どうにもならない体調不良がくっきりと刻されていていたましい。世の薄暑の句には夏間近の期待を込めたものが多いなかで、これはまたなんという鬱陶しさだろう。先日の風邪からまだ完全には立ち直れないでいる私には、身につまされるような一句であった。このところの東京地方も、なにやらはっきりしない中途半端な気候がつづいていて不快である。(清水哲男)




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