朝食メニューのご披露ありがとうございました。朝のパン食はすっかり普通のことに…。




2005ソスN6ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1762005

 蝸牛天を仰いで笑い出す

                           吉田香津代

語は「蝸牛(かたつむり)」で夏。どう受け取ったら良いのか、半日ほど思いあぐねていた。想像の世界にせよ、蝸牛に「笑い」は結びつけにくいからだ。漫画化されたキャラクターを見ても、せいぜいが微笑どまりで、「笑い出す」様子にはほど遠い。私たちの常識的な感覚からすると、蝸牛は忍従の生き物のようである。ひたすら何かにじっと耐えていて、不平や不満もすべて飲み下し、日の当らないところで静かに一生を終えていくという具合だ。そんな蝸牛が、あるとき突然に「天を仰いで笑い出」したというのだから、ギクリとさせられる。しかもこの笑いは、どう考えても明るいそれではなく、むしろ悲鳴に近い笑いのようにしか写らない。今風の言葉で言えば、この蝸牛はこのときついに「切れた」のではなかろうか。そう考えると、実際に「切れた」のは蝸牛ではなく、作者その人であることに気がつき、ようやく句の姿が見えてきたように思えたのだった。いや、より正確に言えば、作者の何かに鬱屈した心が自身で切れる寸前に、蝸牛に乗り移って「切れさせた」のである。絶対に笑い出すはずのない蝸牛を思い切り笑わせることで、作者の抑圧された心情を少しは解きほぐしたかったのだと見てもよいだろう。と思って蝸牛をよくよく見直すと、もはやヒステリックな笑いは消えていて、おだやかな微笑に変わっている。……違うかなあ、難しい句だ。『白夜』(2005)所収。(清水哲男)


June 1662005

 堀こえてにはとりの声梅雨小止む

                           星野恒彦

陶しい梅雨の長雨が、どういう加減からか、すうっと降り止んだ。心無しか、空も明るくなっているようだ。こういうときには単純に心が明るくなってくるものだが、その明るい心が、堀の向こう側で鳴いている「にはとりの声」を捉えたのである。「声」はいわゆる「コケコッコー」の鶏鳴ではなく、「ククククッ」といったような雌鳥のかすかな鳴き声だろう。このときに限らず、その声はいつでも聞こえているはずなのだが、普段はほとんど気がつかない。すなわち、私たちの耳はそのときの心持ちによって、聞いたり聞かなかったりしているわけだ。長雨の小休止でほっとした耳に、同じように鬱陶しさを耐えていたのであろう「にはとり」の洩らした鳴き声の、何と明るく心地よいことか。そのかすかな声には、同じ生き物として通い合う心が宿っているかのようである。句集によれば、作句は1985年(昭和六十年)だ。そんなに昔の句ではない。となれば、この声は遠くの大きな養鶏場から聞こえてきたとも解釈できるが、しかし「にはとり」の表記の意図は、やはり多くても二三羽の鶏を指しているのだと思われる。小さな農家の小さな鶏小屋。そんな懐かしいような風景が堀の向こう側にあってこそ、この句は生きてくる。たとえ想像句であったとしても、そんな現実の世界のなかで味わいたいものだ。『連凧』(1986)所収。(清水哲男)


June 1562005

 句集読むはづかしさ弱冷房車

                           松村武雄

語は「冷房」で夏。電車のなかで、どんな読み物を読もうともむろん自由だ。だが、電車のなかも一つの世間であるから、車内には車内なりの世間体というものがあるし、やはり多少は気になる。新聞や週刊誌でも開くページが気になるし、文庫本でもあまりくだけた内容のものは避けたりする。つまり、車内の多くの人は世間を意識して読み物なりページなりを広げているのだ。だから、作者の言うように「句集」を読むのはちと恥ずかしい。なんとなく、世間の目がいぶかしげにこちらを見ているような気がするからだ。詩集や歌集でも同じことで、実際私にも経験があるけれど、その種の本を広げた途端に、世間から孤立した感じがしてしまう。ひとりで勝手に「はづかしさ」を覚えてしまうのである。しかも作者が乗っているのは「弱冷房車」だ。よほど無頓着な人は別にして、冷房車を避けて数の少ない弱冷房車に乗るのは意識的である。その車両に乗りたくて、わざわざ選んで乗るわけだ。ということは、「弱」の乗客の間には、たまたま乗り合わせたとはいえ、一般の冷房車の雑多な客よりもいわば同類としての意識が高い。実際に他の客の意識がどうであれ、選んで乗った当人にはそう感じられる空間である。したがって、弱冷房車の世間は、そうでない車両のそれよりも濃密なのであって、そこで奇異に思われるかもしれない「句集」をあえて開いたのだから、これはもう「はづかしさ」と言うしかないのであった。とまあ、車中の読書にもいろいろと気を使うものでありマス。『雪間以後』(2003)所収。(清水哲男)




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