都議選(7月3日投票)。宣伝カーが走り回りお願い電話もかかりはじめ騒々しいこって。




2005ソスN6ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1862005

 薔薇の園少女パレット開けずじまひ

                           津田清子

語は「薔薇」で夏。「少女」は同行の女の子だろうか。あるいは、作者の少女期を思い出しての作かもしれない。いずれにしても、薔薇の花を描こうとせっかく用意していった絵の道具を、とうとう「開(あ)けずじまひ」にしてしまったと言うのである。あまりの薔薇の華麗さに気後れしたこともあるかもしれないが、むしろ出かける前に想像していた「薔薇の園」の様子が、予想とはかけ離れていたことのほうが大きかったのではあるまいか。たとえば、こんなに見物の人が多いとはだとか、花の種類の多さに戸惑ったとか……。それですっかり、描きたい気持ちが萎えてしまったのだ。「パレット」を持っていくくらいだから、絵には自信があるのだろう。だが、そういう場所で絵を描くためには、大きく言えばその場の環境全体に馴染むことが先決だ。絵の道具があっても、場所を味方にできないとどうにもならない。そしてこのことは何も絵に限ったことではないのであって、人生諸事においても、ついにパレットを開かずに終わることの何と多いことだろう。私なども、つい言うべきことを言いそびれたり、なすべきことを他日に延ばしてしまったりと、その場の雰囲気に負けてしまったことは、世間知らずの若年のときほど多かったように思う。何もしなかったこと、できなかったことの積み重ねも、また人生である。その意味においては、句の少女はやはり作者の若き日の姿だと読むほうが適当かなと、だんだんそんな気がしてきた。「俳句研究」(2005年7月号)所載。(清水哲男)


June 1762005

 蝸牛天を仰いで笑い出す

                           吉田香津代

語は「蝸牛(かたつむり)」で夏。どう受け取ったら良いのか、半日ほど思いあぐねていた。想像の世界にせよ、蝸牛に「笑い」は結びつけにくいからだ。漫画化されたキャラクターを見ても、せいぜいが微笑どまりで、「笑い出す」様子にはほど遠い。私たちの常識的な感覚からすると、蝸牛は忍従の生き物のようである。ひたすら何かにじっと耐えていて、不平や不満もすべて飲み下し、日の当らないところで静かに一生を終えていくという具合だ。そんな蝸牛が、あるとき突然に「天を仰いで笑い出」したというのだから、ギクリとさせられる。しかもこの笑いは、どう考えても明るいそれではなく、むしろ悲鳴に近い笑いのようにしか写らない。今風の言葉で言えば、この蝸牛はこのときついに「切れた」のではなかろうか。そう考えると、実際に「切れた」のは蝸牛ではなく、作者その人であることに気がつき、ようやく句の姿が見えてきたように思えたのだった。いや、より正確に言えば、作者の何かに鬱屈した心が自身で切れる寸前に、蝸牛に乗り移って「切れさせた」のである。絶対に笑い出すはずのない蝸牛を思い切り笑わせることで、作者の抑圧された心情を少しは解きほぐしたかったのだと見てもよいだろう。と思って蝸牛をよくよく見直すと、もはやヒステリックな笑いは消えていて、おだやかな微笑に変わっている。……違うかなあ、難しい句だ。『白夜』(2005)所収。(清水哲男)


June 1662005

 堀こえてにはとりの声梅雨小止む

                           星野恒彦

陶しい梅雨の長雨が、どういう加減からか、すうっと降り止んだ。心無しか、空も明るくなっているようだ。こういうときには単純に心が明るくなってくるものだが、その明るい心が、堀の向こう側で鳴いている「にはとりの声」を捉えたのである。「声」はいわゆる「コケコッコー」の鶏鳴ではなく、「ククククッ」といったような雌鳥のかすかな鳴き声だろう。このときに限らず、その声はいつでも聞こえているはずなのだが、普段はほとんど気がつかない。すなわち、私たちの耳はそのときの心持ちによって、聞いたり聞かなかったりしているわけだ。長雨の小休止でほっとした耳に、同じように鬱陶しさを耐えていたのであろう「にはとり」の洩らした鳴き声の、何と明るく心地よいことか。そのかすかな声には、同じ生き物として通い合う心が宿っているかのようである。句集によれば、作句は1985年(昭和六十年)だ。そんなに昔の句ではない。となれば、この声は遠くの大きな養鶏場から聞こえてきたとも解釈できるが、しかし「にはとり」の表記の意図は、やはり多くても二三羽の鶏を指しているのだと思われる。小さな農家の小さな鶏小屋。そんな懐かしいような風景が堀の向こう側にあってこそ、この句は生きてくる。たとえ想像句であったとしても、そんな現実の世界のなかで味わいたいものだ。『連凧』(1986)所収。(清水哲男)




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