June 292005
夏座敷対角線に妻のゐて
岡本久一
季語は「夏座敷」。元来の意味は襖、障子などを外して、風通しをよくし、夏向きの家具、調度を置いた座敷のことだ。現代の家では、窓を広く開け放ったりして、風の通りをよくした部屋くらいの感じが適当だろう。実際にはさして涼しくなくても、外気との触れ合いによる開放感から涼味を覚えるのである。掲句はそんな座敷か部屋で、妻と二人でくつろいでいるところか。一つの机を挟んで、妻と作者は対角線上にいる。このときに二人が最も近くなる場所は隣り同士であり、次が正面に向き合う位置であり、いちばん遠いのが対角線上だ。つまり、二人はいちばん遠いところに坐っているわけだが、べつに互いが意識してそうしているのではない。長年の結婚生活のなかで、ごく自然にそうなってきたのだ。句の「対角線」は、だから二次元的な距離の遠さを表すよりも、むしろ三次元的な二人での生活時間の長さを言っている。隣り同士から対角線上まで過ごしてきた時間……。これを再び二次元化すると、思えば遠くまで来たものだという感慨につながる。窓からの風も心地よい。俗に「遠くて近きは男女の仲」と言うけれど、ならば「近くて遠きが夫婦の仲」なのか。なあんて、混ぜっ返しては作者に失礼だ。へぇ、お後がよろしいようで。有楽町メセナ句会合同句集『毬音』(2005年5月)所載。(清水哲男)
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