これからは、当歳時記では二度と繰り返されることのない季節の日々が過ぎてゆきます。




2005ソスN7ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0172005

 暇乞い旁百合を嗅いでいる

                           池田澄子

語は「百合」で夏。「旁」は「かたがた」。玄関先だろうか。「暇(いとま)乞い」に訪れた人が、たまたまそこに活けてあった「百合を嗅いでいる」。百合を嗅ぐ行為と暇乞いとは何の関係もないのだけれど、ほとんどの読者はこの情景を、ごく自然なものとして受け入れるだろう。訪ねてきた人を変わった人だなどとは、まず思わない。それはおそらく、シチュエーションは違っても、私たちは日常的にこの種の行為を自分で繰り返したり目撃したりしているからだと思う。何かをする「旁」、ほとんど無意識的に目的とは無関係な行為をプラスするのだ。何故だろうか。……と問うほうが実は変なのであって、人間は合目的的な行為だけを選択し実践しているわけじゃない。合理の世界から言えば、むしろ無駄な行為を多く実践することによって、人はようやく合理に近づけるのではなかろうか。句の人の合理は、むろん暇乞いにある。が、暇乞いとは通常別れ難い感情を内包しているから、単に事務的に口上を述べればよいというものではない。いくら言葉で別れ難さを表現したとしても、口上では表現できない感情の部分が残ってしまう。何かまだ、相手には伝え足りない。落ち着かない。そんな思いが、突然百合の香を嗅ぐという非合理的な行為につながった。心理学者じゃないので、当てずっぽうに言ってみているだけだが、これも人情の機微の不思議なところで、その一瞬を逃さずに詠んだ作者の目は冴えに冴えているとしか言いようが無い。『たましいの話』(2005)所収。(清水哲男)


June 3062005

 三つ矢サイダーきやうだい毀れやすきかな

                           奥田筆子

語は「サイダー」で夏。「サイダー」といえば「三つ矢」。正確には「三ツ矢」だが、かれこれ120年の歴史を持つ。昔は現在のように一人用の容器ではなく、大きな瓶に入っていたので、家族で注ぎ分けて飲んだものだ。作者はいま、独りで飲んでいる。飲みながら、サイダーを好んだ子供の頃を思い出している。そして、あんなにも仲良く分け合って飲んだ「きやうだい(兄弟姉妹)」とも、すっかり疎遠になってしまっていることを、何か夢のように感じているのだ。むろん寂しさもあるが、親密な関係があまりにもあっけなく「毀れ(こわれ)」てしまったことへの不思議の気持ちのほうが強いのではあるまいか。日盛りのなかのサイダー。いわば向日的な明るい飲み物であるだけに、「きやうだい」間にどんな事情があったにせよ、疎遠になってからの来し方が信じられないほどの昏さを伴って思い返されるのである。別の作者で、もう一句。「サイダーに咽せて疎遠になる兆し」(平山道子)。相手との会話が、いまひとつ弾まないのだろう。咽(む)せたくて咽せたわけではなかろうが、しかし心のどこかでは、気まずい雰囲気をとりつくろうために咽せたような気もしている。そんな作者に、相手は「だいじょうぶ?」と声をかけるでもなく……。相手は同性だと見た。これまた明るい飲み物を媒介にして、昏さを無理無く引き出している。以上、サイダー受難の二句であります。現代俳句協会編『現代俳句歳時記・夏』(2004)所載。(清水哲男)


June 2962005

 夏座敷対角線に妻のゐて

                           岡本久一

語は「夏座敷」。元来の意味は襖、障子などを外して、風通しをよくし、夏向きの家具、調度を置いた座敷のことだ。現代の家では、窓を広く開け放ったりして、風の通りをよくした部屋くらいの感じが適当だろう。実際にはさして涼しくなくても、外気との触れ合いによる開放感から涼味を覚えるのである。掲句はそんな座敷か部屋で、妻と二人でくつろいでいるところか。一つの机を挟んで、妻と作者は対角線上にいる。このときに二人が最も近くなる場所は隣り同士であり、次が正面に向き合う位置であり、いちばん遠いのが対角線上だ。つまり、二人はいちばん遠いところに坐っているわけだが、べつに互いが意識してそうしているのではない。長年の結婚生活のなかで、ごく自然にそうなってきたのだ。句の「対角線」は、だから二次元的な距離の遠さを表すよりも、むしろ三次元的な二人での生活時間の長さを言っている。隣り同士から対角線上まで過ごしてきた時間……。これを再び二次元化すると、思えば遠くまで来たものだという感慨につながる。窓からの風も心地よい。俗に「遠くて近きは男女の仲」と言うけれど、ならば「近くて遠きが夫婦の仲」なのか。なあんて、混ぜっ返しては作者に失礼だ。へぇ、お後がよろしいようで。有楽町メセナ句会合同句集『毬音』(2005年5月)所載。(清水哲男)




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