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July 0272005

 夜店より呼びかけらるることもなし

                           大串 章

語は「夜店」で夏。夜店を「冷やかす」と言う。とくに何かを買うというのではなく、ぶらぶらと見て回りながら、その雰囲気を楽しむ。店の人と軽口を叩き合うのも楽しい。作者も冷やかして歩いている。「呼びかけら」れれば、冗談口の一つや二つは交わすつもりでいたのに、しかし「呼びかけらるることもなし」に終わってしまった。思い返せば今宵に限らず、いつだってそうだったなあという苦笑まじりの感慨がわく。私も、呼びかけられないクチだ。不思議なもので、逆にいつも「シャチョーッ」だの「オニーサン」だのと声をかけられる友人もいる。夜店の人からすれば、呼びかけやすいタイプとそうでないタイプの人があるのだろう。たとえ買ってくれそうにはなくても呼びかけて、その場の雰囲気を盛り上げてくれる客が直感的にわかるのだ。そういえば、放送の仕事での街頭インタビューでもそうだった。そのときの私は夜店の主人の立場にあったわけだが、だんだん経験を積んでゆくうちに、マイクを向けても大丈夫な人と駄目な人とが見た目でわかるようになってきた。駄目そうだなと思った人は、まずたいていが何も言ってくれない。たとえしゃべってくれても、面白くなかったり要領を得なかったりする。したがってこちらも能率を考えるから、呼びかけやすいタイプの人だけに近づくことになってしまう。これは何も私に限った話ではなく、ほとんどのインタビュアーやディレクターがそうしているはずだ。テレビやラジオのインタビューに答えている人は、いかにも一般の声を代表しているように聞こえるが、実は一般の人のほんの一部しか代表していない理屈になる。『大地』(2005)所収。(清水哲男)


May 2652006

 売られゆくうさぎ匂へる夜店かな

                           五所平之助

語は「夜店」で夏。作者は、日本最初の本格的なトーキー映画『マダムと女房』や戦後の『煙突の見える場所』などで知られる映画監督だ。俳句は、久保田万太郎の指導を受けた。掲句はありふれた「夜店」の光景ながら、読者に懐かしくも切ない子供時代を想起させる。地べたに置かれた籠のなかに「うさぎ」が何羽か入っていて、それを何人かの子どもらが取り囲んでいる。夜店の生き物は高価だ。ましてや「うさぎ」ともなれば、庶民の子には手が届かない。でも、可愛いなあ、飼ってみたいなあと、いつまでも飽かず眺めているのだ。このときに、「うさぎの匂へる」の「匂へる」が、「臭へる」ではないところに注目したい。近づいて見ているのだから、動物特有の臭いも多少はするだろうが、この「匂へる」に込められた作者の思いは、「うさぎ」のふわふわとした白いからだをいとおしく思う、その気持ちだ。「匂うがごとき美女」などと使う、その「匂」に通じている。この句を読んだとたんに、おそらくは誰もがそうであるように、私は十円玉を握りしめて祭りの屋台を覗き込んでいた子どもの頃を思い出した。そして、その十円玉を祭りの雑踏のなかで落としてしまう少年の出てくる映画『泥の川』(小栗康平監督)の哀切さも。『五所亭句集』(1069)所収。(清水哲男)


May 2752007

 曾て住みし町よ夜店が坂なりに

                           波多野爽波

て(かつて)と読みます。季語は「夜店」。言うまでもなく路上で商いをする露天商のことです。神社やお寺の縁日になると、道の両側に色とりどりの飾り付けをした店が並びます。掲句を読んで、胸がしめつけられるような思いを抱いた人は多いと思います。「曾て住みし町よ」の詠嘆が、読み手の心を一気に掴みます。読むものそれぞれに、昔の出来事や風景が浮かんできます。また、「坂なり」という言葉も印象的です。あまり使われない言い方ですが、坂の傾斜に沿って、という意味なのでしょうか。この傾斜が、句全体に微妙な心の揺らぎをもたらしています。若い頃に暮らしていた町。若かったからできた生活。毎日のように会っていた友人たち。引っ越した日の空までもが目に浮かんできます。あれからいろいろなことがあって、歳をとり、家庭を持ち、今はもう忙しい毎日にふりまわされるばかりで、この町を思い出すことはありません。用事があって久しぶりに訪れた町です。見れば薄暗くなってゆく空の下に、まぶしいほどの光を灯して夜店が出はじめています。なつかしくも楽しい気分になって歩いていると、急に心がざわめいてきます。あの人は今どうしているだろう。うつむいて歩くゆるい下り坂に、かすかにバランスがくずれます。『作句歳時記 夏』(1989・講談社)所載。(松下育男)


August 1182014

 島の子のみんな出てゐる夜店かな

                           矢島渚男

の「島」を「村」に替えれば、そのまま私の子供時代の光景になる。バスも通わぬ村だったから、陸の孤島という比喩があるように、村はすなわち島のようなものだった。むろん映画館もなければ、本屋すらなかった。そんな環境だったので、娯楽といえば年に一度の村祭くらいしかなく、わずかな小遣いを握りしめて、夜店をのぞいてまわるのが楽しみだった。夜店で毎年買いたいと思ったのは、ゴム袋に水を入れる様式のヨーヨーだったけれど、買えるほどの小遣いはもらえなかった。どんなにそれが欲しかったか。大人になってから、ヨーヨー欲しさだけで町内の侘びしい祭に出かけていったほどである。いまは知らないけれど、そのころ夜店を出していたのは旅回りの香具師たちだった。なにしろ日ごろは、村人以外の人を見かけるとすれば総選挙のときくらいだったから、点々と店を張っている香具師たちの姿は、ともかくも新鮮だった。夜店は決して大げさではなく、年に一度の異文化との交流の場だったのである。ヨーヨーばかりではなく飴玉一個煎餅一枚にしても、西洋からの輸入品のように輝いて見えていたのだった。『翼の上に』(1999)所収。(清水哲男)




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