ドームに長嶋を迎えたスポーツ報道の大半は不快だった。無理矢理のシンボル作りだね。




2005ソスN7ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0472005

 大衆にちがひなきわれビールのむ

                           京極杞陽

とより私もそうだが、たいていの人はこうした感慨を抱くことはない。いや、感慨以前の問題として、あらためて自分が「大衆」の一員であると強く意識させられることも、滅多にないだろう。しかし、世の中には少数ではあるが、作者のような人もいたわけだし、いまも何処かにはいる。以下の作者略歴(記述・山田弘子)が、そのまま句の解釈につながってゆく。京極杞陽(きょうごく・きよう)。「明治41年2月20日、東京市本所に、父高義(子爵)母鉚の長男として誕生。本名高光。豊岡藩主十四代当主(子爵)。大正9年学習院中等科に入学。大正12年9月、関東大震災により生家焼失、一人の姉を残し家族全員と死別。昭和3年東北帝大文学部に入るも一年で京都帝大文学部に移る。昭和5年東京帝大文学部倫理科に入学。昭和8年4月、大和郡山藩主(伯爵)柳沢保承長女昭子と結婚。昭和9年東京帝大卒業。11月、長男高忠誕生。昭和10年〜11年ヨーロッパに遊学。昭和11年4月渡欧中の高浜虚子歓迎のベルリン日本人会の句会で虚子と出会い生涯の師弟関係が生まれる。昭和12年宮内省式部官として勤務。11月「ホトトギス」初巻頭。昭和13年高浜年尾発行編「俳諧」に加わる。1月次男高晴誕生。(中略)。昭和18年2月五男高幸誕生。11月家族を郷里豊岡に疎開させ単身東京に残る。(中略)。昭和21年宮内省退職。昭和22年4月『くくたち・下巻』刊。5月新憲法により貴族院議員の資格を失う。11月山陰行幸の昭和天皇に拝謁。……」。掲句は、この後に生まれたのだろう。人は親を選べない。『俳句歳時記・夏の部』(1955)所載。(清水哲男)


July 0372005

 恙なき雲つぎつぎに半夏かな

                           廣瀬直人

語が「半夏(はんげ)」であるのは間違いないが、どの項目に分類するかについては、いささか悩ましいところのある句だ。というのも、単に「半夏」といえば一般的には植物の「カラスビシャク」のことを指すからである。だが、私の知るかぎり、この植物を季語として採用している歳時記はない。ならば当歳時記で新設しようか。でも、待てよ。歳時記をめくると、半夏が生えてくる日ということから「半夏生(はんげしょう)」という季語があって、こちらは全ての歳時記に載っている。今年は昨日7月2日がその日だった。そこで悩ましいのは、掲句の中味はカラスビシャクを知っていても、こちらの季語の意味を知らないと解けない点である。すなわち、「恙(つつが)なき雲」は明らかに、半夏生の日の天気によって米の収穫を占った昔の風習を踏まえている。梅雨の晴れ間の空に「つぎつぎに」生まれる白い雲を眺めながら、作者は昔の人と同じように吉兆を感じ、清々しい気持ちになっているのだ。だとすれば、何故「半夏かな」なのだろう。ここをずばり「半夏生」と押さえても字余りにもならないし、そのほうがわかりやすいし、いっこうに差し支えないのではないか。等々、他にもいろいろ考えてみて、一応の結論としては、句作時の作者の眼前には実際にカラスビシャクが生えていたのだと読んでおくことにした。つまり季語の成り立ちと同様に、句のなかでは植物の「半夏」にうながされて「半夏生」が立ち上がってきたのであり、はじめから「半夏生」がテーマではなかったということだ。ブッキッシュな知識のみによる句ではないということだ。便宜的に一応「半夏生」に分類はしておくが、あくまでも「一応」である。俳誌「白露」(2005年7月号)所載。(清水哲男)


July 0272005

 夜店より呼びかけらるることもなし

                           大串 章

語は「夜店」で夏。夜店を「冷やかす」と言う。とくに何かを買うというのではなく、ぶらぶらと見て回りながら、その雰囲気を楽しむ。店の人と軽口を叩き合うのも楽しい。作者も冷やかして歩いている。「呼びかけら」れれば、冗談口の一つや二つは交わすつもりでいたのに、しかし「呼びかけらるることもなし」に終わってしまった。思い返せば今宵に限らず、いつだってそうだったなあという苦笑まじりの感慨がわく。私も、呼びかけられないクチだ。不思議なもので、逆にいつも「シャチョーッ」だの「オニーサン」だのと声をかけられる友人もいる。夜店の人からすれば、呼びかけやすいタイプとそうでないタイプの人があるのだろう。たとえ買ってくれそうにはなくても呼びかけて、その場の雰囲気を盛り上げてくれる客が直感的にわかるのだ。そういえば、放送の仕事での街頭インタビューでもそうだった。そのときの私は夜店の主人の立場にあったわけだが、だんだん経験を積んでゆくうちに、マイクを向けても大丈夫な人と駄目な人とが見た目でわかるようになってきた。駄目そうだなと思った人は、まずたいていが何も言ってくれない。たとえしゃべってくれても、面白くなかったり要領を得なかったりする。したがってこちらも能率を考えるから、呼びかけやすいタイプの人だけに近づくことになってしまう。これは何も私に限った話ではなく、ほとんどのインタビュアーやディレクターがそうしているはずだ。テレビやラジオのインタビューに答えている人は、いかにも一般の声を代表しているように聞こえるが、実は一般の人のほんの一部しか代表していない理屈になる。『大地』(2005)所収。(清水哲男)




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