看板はワシントンDC在住で写真が趣味の弁護士furcafeさん。人生の哀歓を感じさせる。




2005ソスN7ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0772005

 瓜番へ闇を飛び来し礫かな

                           守能断腸花

語は「瓜番(うりばん)」で夏。マクワウリやスイカが熟する時期、夜陰に乗じて盗みに来る者がいた。これを防ぐための番人のことで、小屋の中で番をする。ウリ類が、今よりもずっと貴重だった頃にできた季語だ。瓜番を詠んだ句を調べてみると、おおかたは「まんまろき月のあがりし西瓜番」(富安風生)のように、平穏なものが多いようだ。瓜泥棒はこそ泥だから、誰かが見張っているとなれば、畑に近寄っても来ないからだろう。したがって、掲句のような例は珍しい。いつもは何事もなく過ぎてゆく瓜番小屋に、突然「礫(つぶて)」が「闇」の中から飛んできた。その鋭い勢いで、何か固い物が偶然に小屋に落ちてきたのではないと知れる。明らかに、誰かが小屋をめがけて投げたのである。単なるいたずらか、何かの挑発か、あるいは小屋に人がいるかどうかを探るために投げたのか。さっと緊張感が走った瞬間を言い止めた句で、こういう句は想像では作れない。現場にいた者ならではの臨場感に溢れている。この瓜番も近年ではすっかり姿を消してしまい、死語になった。が、サクランボの名産地で知られる山形などでは、夜間の見回りが欠かせないところもあると新聞で読んだ。世に盗人の種は尽きまじ……。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


July 0672005

 寝不足にやや遠ざけし百合の壺

                           能村研三

語は「百合」で夏。「寝不足」がたたって、体調がよろしくない。それでなくとも百合の花の芳香は強いから、こういうときにはいささかうとましく感じられるものだ。そこで、飾ってある壺を少しだけ遠ざけたと言うのである。花粉が飛び散らないように、そろそろっと壺を押しやっている作者の手つきまでが見えるようだ。このように、体調如何によって人の感覚は微妙に変化する。その昔の専売公社の宣伝に「今日も元気だ、煙草がうまい」というのがあったが、これなどもそのことをずばりと言い当てた名コピーだろう。だから、誰にとっても常に美しかったり常に美味かったりする対象物はあり得ないことになる。すべての感覚は、体調や、それに多く依拠している気分や機嫌の前に、相対的流動的なのであって定まることがない。ただ哀しいかな、私たちがそのことを理解できるのは体調不良におちいったときのみで、いったん健康体に戻るや、けろりと「永遠絶対の美」などという観念に与したりするのだから始末が悪い。飛躍するようだが、テレビなどという媒体は、視聴者が全員元気であることを前提にしている。したがって、身体的弱者や社会的弱者へのいたわりの気持ちが無い。早朝から天気予報のお姉さんがキャンキャン言い募るのも、視聴者がみな熟睡して爽快な気分で目覚めていると断定していることのあらわれで、句の作者のような状態ははじめから勘定の外にあるわけだ。やれやれ、である。『滑翔』(2004)所収。(清水哲男)


July 0572005

 輪唱の昔ありけり青嵐

                           平林恵子

語は「青嵐」で夏。「輪唱(りんしょう)」と聞いてすぐに思い出すのは、三部輪唱曲のアメリカ民謡「静かな湖畔で」だ。♪静かな湖畔の森の陰から もう起きちゃいかがとカッコウが鳴く……。戦後の一時期には、大いに歌われた。青嵐の季語から見て、作者の頭にもこの曲があったのかもしれない。どんな時代にも人は歌ってきたが、なかで輪唱が盛んだったのは、日本では敗戦から二十年ほどの間くらいだろうか。輪唱は一人では歌えない。その場の誰かれとの、いわば協同作業である。すなわち一人で歌うよりも、みんなで歌うほうが楽しめた時代があったのだ。かつての「歌声喫茶」は輪唱に限らないが、合唱や斉唱を含め、もっぱら複数で歌うことのできる場を提供することで、大ブレークしたのである。対するに、現在流行の「カラオケ」は一人で歌うことがベースになっている。私などにはこの差は、敗戦後の苦しい生活のなかで肩寄せあって生きていた時代とそうでなくなった時代とを象徴しているように思われてならない。戦後の庶民意識は60年を経るうちに、いつしか「みんなで……」から「オレがワタシが……」に完全に変質してしまったということだろう。このことへの評価は軽々には下せないけれど、清々しい青嵐に吹かれて一抹の寂しさと苦さとを覚えている作者には共感できる。俳誌「ににん」(2005年夏号・通巻19号)所載。(清水哲男)




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