三連休ですね。連休が明けると東京も梅雨明けか。しかし,明けたら明けたで暑いし…。




2005ソスN7ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1672005

 昔より美人は汗をかかぬもの

                           今井千鶴子

語は「汗」で夏。ふうん、そうなんですか、そういう「もの」なのですか。作者自注に「或る人曰く、汗をかくのは下品、汗をかかぬのも美人の条件と」とある。なんだか標語みたいな俳句だが、ここまでずばりと断定されると(しかも女性に)、いくらへそ曲がりな私でもたじたじとなってしまう。そんなことを言ったって、人には体質というものもあるのだから……、などと口をとんがらせてもはじまるまい。そういえば、名優は決して舞台では汗をかかないものと聞いたことがある。なるほど、舞台で大汗をかいていては折角の化粧も台無しになってしまう。このことからすると、美人のいわば舞台は日常の人前なのだから、その意味では役者とかなり共通しているのかもしれない。両者とも、他人の視線を栄養にしておのれを磨いていくところがある。だからいくら暑かろうが、人前にあるときには、持って生まれた体質さえコントロールできる何かの力が働くのだろう。精神力というのともちょっと違って、日頃の「トレーニング」や節制で身につけた一種条件反射的な能力とでも言うべきか。高浜年尾に「羅に汗さへ見せぬ女かな」があるが、これまた美人の美人たる所以を詠んでいるのであり、そんな能力を備えた涼しい顔の女性を眼前にして驚嘆している。それも、少々あきれ加減で。「羅」は「うすもの」と読む。「俳句」(2005年7月号)所載。(清水哲男)


July 1572005

 椎の花降つて轍の深きかな

                           満田春日

語は「椎の花」で夏。もう花期は過ぎたかな。子供の頃、近所に椎の大木があった。夏は蝉取りの宝庫であり、秋には落ちてくる実を食べたものだが、花なんぞには関心がなかったので、つぶさに観察したことはない。ただなんとなく、淡黄色の花がわあっと固まって咲いていたような記憶が……。ただし、この花に「散る」という言葉が似合わないことだけはわかる。ちらほらと散るのではなくて、高いところから長い穂ごと落ちてくるからだ。調べてみると、これは雄花なんだそうだが、とにかく椎の花それ自体は強烈な匂いとあいまって、およそリリカルな情趣には遠い花だ。したがって、句の散文的な「降つて」の言い方は極めて妥当、降った花穂が「轍(わだち)」に嵌り込んでいて、そのことからあらためて轍の深さを思ったのも妥当な心の動きである。他の植物の花びらだと、よほど散り敷いている場合は別として、なかなか轍の深さにまでは思いが及ぶまい。やはり花びらとは言い難いボリューム感のある椎の花穂だから、落ちている量は少なくても、轍とその深さが鮮やかに思われたのだ。鬱蒼たる夏木立には、少し湿り気を帯びた風が吹いているのだろう。最近の道はどこもかしこも舗装されてしまい、轍を見かけることも少なくなってしまった。その意味でも、私には懐かしい土の匂いがしてくるような一句であった。『雪月』(2005)所収。(清水哲男)


July 1472005

 少年の夏シャツ右肩裂けにけり

                           中村草田男

語は「夏シャツ」。といってもいろいろだが、この場合は下着としての白いシャツだろう。昔はTシャツなんぞという洒落たものはなかったので、暑い日中はたいてい下着のシャツ一枚で遊び回っていたものだ。そんなシャツ姿の少年の右肩のところが裂けている。何かに引っ掛けた拍子に裂けたのか、喧嘩でもしてきたのか。「裂けにけり」と句は現在完了形で、いかにも作者の眼前で裂けたかのような書きぶりだが、実際にはもう既に裂けていて、あえてこうした表現にしたのは、裂け方の生々しさを強調したかったからだ。このときの少年の姿は、単なる悪ガキのイメージを越えて、子供ながらにも精悍な男の気合いを感じさせている。とにかく、カッコウがよろしいのである。いましたね、昔はこういう男の子が……。ところで下着のシャツといえば、現在の普段着であるTシャツも、元来はGI(米兵)専用の下着だったことをご存知だろうか。まだ無名だった若き日のマーロン・ブランドが、『欲望という名の電車』のリハーサルに軽い気持ちでそれを着ていったところ、エリア・カザンが大いに気に入り本番でも採用することにした。で、映画は大ヒットし、昨日までの下着が、以来外着としての市民権を得ることになったというわけである。ほぼ半世紀前、1947年のことだった。『俳句歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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