市役所分室から自宅に電話しようと思ったら公衆電話がない。ある所まで歩けと言う…。




2005ソスN7ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2072005

 すれ違つてから金魚賣は呼ぶ

                           加倉井秋を

語は「金魚賣(金魚売)」で夏。かつては夏の風物詩だったが、最近ではとんと見かけなくなった。町を流して歩く金魚売りは、もう絶滅してしまったのかもしれない。句の作者は、おそらく自宅の近所を歩いているのだ。歩いていると、向うから車を引いてやってくる金魚売りが見えた。一瞬作者は「買って帰ろうかな」と思ったにちがいない。ところが近づいてきた金魚売りは、声をかけるでもなく「すれ違」い、通り過ぎたかと思ったら急に呼び声を出しはじめた。ただこれだけのことを作者が句にしたのは、最初は腑に落ちなかった金魚売りの態度が、後で十分に納得できたからだろう。つまり、金魚売りとはそういうもの、そういう商売なのであると……。要するに、彼の目指す客は道を歩いている人ではなく、常に彼の呼び声が届く範囲の家の中にいる人たちなのである。道行く人の袖を引いてみたところで、よほどの偶然に恵まれなければ、売れるはずもない。道行く人は仕事の最中だったり、遠くから来ている人だったりするからだ。したがって、すれ違う人はまず商売にはならない。ならない人に声をかけても仕方がないし、にもかかわらず面と向かって呼びかける格好になるのも失礼だしと、そんな配慮から作者とも黙ってすれ違ったというわけだ。最近車でやってくる物売りは、みなテープに売り声を仕込んでいるので、すれ違おうがおかまい無しにがなり立てつづけている。あれでは、とうてい風物詩にはなり得ない。『俳句歳時記・夏の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


July 1972005

 片蔭の家の奥なる眼に刺さる

                           西東三鬼

語は「片蔭」で夏。夏の日陰のことで、午後、町並みや塀や家のかげに日陰ができる。作者は炎天下を歩いてきて、ようやく人家のあるところで日陰にありついた。やれやれと立ち止まり、一息入れたのだろう。と、しばらくするうちに、どこからか視線を感じたのである。振り向いて日陰を借りている家の窓を見ると、「奥」のほうからじっとこちらを見ている「眼」に気がついたのだった。いかにも訝しげに、とがめ立てをしているような眼だ。べつに悪いことをしているわけではないのだけれど、おそらく作者は慌ててそそくさとその場を離れたにちがいない。他人のテリトリーを犯している、そんな気遣いからだ。でも、たいていのこうした場合には、視線を感じた側の勝手なひとり合点のことが多い。家の「奥なる眼」の人はただ何気なく外を見ていただけかもしれないのに、それを「刺さる」ように感じてしまうのは、他ならぬ自分にこそテリトリー意識が強いからだと言える。つまり、自分の物差しだけで他人の気持ちを推し量るがゆえに、なんでもない場面で、ひとり傷ついたりしてしまうということだ。といっても、私たぐりちはこの種の神経の働かせ方を止めることはできない。できないから、余計なストレスは溜まる一方となる。現実から逃避したくなったり切れたりする人が出てくるのも、当然だろう。『俳句歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


July 1872005

 朝ぐもりはめても落ちる鍋のねじ

                           水津奈々枝

語は「朝ぐもり(朝曇)」で夏。季語として定着したのは近代以降と、比較的新しい。夏の朝、いっそ晴れていればまだ多少は清々しいものを、もわあっと曇っている。蒸し蒸しする。こういうときには、決まって日中は炎暑となるのだ。作者は、朝食の用意をしているのだろう。鍋の蓋のねじが甘くなっていたので、ぎゅっと締め直したはずが、ころんと外れて落ちてしまった。男だったら舌打ちの一つもするところだけれど、やれやれともう一度直しにかかる。「今日も暑くなりそうだ」。朝曇特有のけだるいような感じが、台所での些細な出来事を媒介にしてよく伝わってくる。「旱(ひでり)の朝曇」という言葉があるそうだが、日中の晴れと暑さを約束するのが朝曇りである。どうしてそうなるかといえば、「朝、夜の陸風と昼の海風が交代し、温度の低い海風が、前日、日照によって蒸発していた水蒸気をひやすため」(平井昭敏)だという。私の田舎では「朝曇は大日(おおひ)のもと」と言っていて、子供でも知っていた。なにせ夏期の農家のいちばん辛い仕事は、田畑の草取りだったから、目覚めて朝曇りだと、大人たちはさぞやがっかりしたにちがいない。「照りそめし楓の空の朝曇」(石田波郷)などと、風流な心情にはとてもなれなかったろう。そんな農業人の朝曇りの句がないかと探してみたが、見当たらなかった。「BE-DO 微動」(2005年5月・NHK文化センター大阪教室ふけとしこ俳句講座作品集1)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます