プロ野球オールスター戦。昔は楽しみだったが今はそれほどでも。紅白歌合戦と同じだ。




2005ソスN7ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2372005

 定年の無位のアロハの涼しけれ

                           久本十美二

語は「アロハ」で夏、「夏シャツ」に分類。古い歳時記を読む楽しみの一つは、当該項目の解説に、発刊されたころの時代性を感じることだ。掲句を例句として掲げた新潮文庫版(初版・1951年)には、こうある。「夏着るシャツの一種。派手な模様のある半袖シャツで、裾を短くズボンの上に垂らして着る。ホノルルの中国人が発案し、ハワイで流行したのがアメリカにも移り、戦後日本に入ってきた。若者たちは夏になると盛んに愛用し、また家庭着、海辺着としても人気を博している」。戦後間もなくの記述のようだが、着方まで書いてあるところが微笑ましい。多くの人はまだ、写真や映画では知っていても、実物を見たこともなかったころだったのだろう。実際、私がアロハの実物を初めて見たのも、ずいぶん遅かったような記憶がある。そんな流行の最先端をいっていたアロハを、若者ならぬ定年を迎えた作者が着ている。いま読むとたいした句には思えないけれど、当時はこのことだけでも「おっ」と思わせたにちがいない。もはや「無位(むい)」となった身のせいせいした様子が、まことに涼しそうに伝わってくる。男が派手なシャツを着るなどは、まだ世相に馴染まなかった時代でもあったから、作者は相当に気が若い。と何気なく書いたところで、はっと気がついた。今でこそ定年は六十歳くらいだが、昔は五十歳から五十五歳が普通だったことに……。つまり、作者の実年齢は五十代前半だということになり、現今の定年者よりもだいぶ若かったわけで、となると掲句のイメージをどう修正したらよいのか。よくわからなくなってきた。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫改訂版)所載。(清水哲男)


July 2272005

 極東の小帝国の豆御飯

                           上野遊馬

語は「豆御飯(豆飯)」で夏。グリーンピース入りが、いちばん美味いかな。と思ったところで、掲句の仕掛けがするするっと解けた(ような気がする)。「極東の小帝国」とは、むろん他ならぬ私たちの暮らす日本国のことだ。大日本帝国が破綻して、今年で六十年。理想的な民主主義的平和国家建設を目指していたはずが、気がつけばご覧の通りのていたらく。イラクに自衛隊を派遣常駐させ、国連安保理常任理事国入りへ血道をあげている姿は、その姑息なやり口に照らして、帝国は帝国でも未だ「小」の範疇でしかないのだろう。憲法を改定せよとの動きも、また然り。このときに「極東」という方位は欧米からの位置づけだから、この小帝国という評価も単に作者一個人の判断を越えて、国際的な視野からのそれであることを暗示している。そんな広い視野から現今の日本をつらつら眺めてみると、もはや平和国家は骨抜き寸前であり、実質的な「ピース」はわずかに豆御飯のなかくらいにしかないのではないかとすら思われてくる。厳密に言えば、平和の"peace"とグリーンピースの"peas"とは綴りが違うけれども、日本語の表記は同一だ。さらに"peace like peas"と取れば、いっそう皮肉がきつくなる。以上、……とは書いてみたものの、作句意図とはまったく違っているかもしれぬという不安は残る。間違ってしまったとすれば、敗戦後六十年にこだわるあまりの昨今の私の心情のせいにちがいない。他の解釈があれば、ヒントなりともご教示を願いたい。俳誌「翔臨」(2005年7月・第53号)所載。(清水哲男)


July 2172005

 親ひとり子ひとり林間学校へ

                           山県輝夫

語は「林間学校」で夏。最近では「サマースクール」と言っているようだ。夏休みの数日間をを利用して、都会の子供たちが高原や海岸など自然豊かな土地で過ごす。勉強もするが、登山やハイキング、あるいは風呂を沸かしたり食事を作るなど、どちらかといえば規則正しい生活と健康増進がねらいの「学校」だ。明治期に外国の影響ではじめられたのだが、当時は身体虚弱な子供のための転地療養的な意味合いが濃かったという。さて、掲句の「子」は、はじめて親元を離れるのだろう。「親ひとり」の「親」は作者のはずだから、父親である。子供のほうは無邪気に喜々としているのだけれど、送り出す父親としてはいささかの不安がつきまとう。現地でのことにさして心配はないとしても、タオルや歯ブラシからはじまって着替えなど必要なものの準備は整っているのか、万一熱でも出した場合の薬類は持たせるべきなのか、等々の不安だ。すなわち、母親だったら簡単に常識的に片付けられるもろもろの準備が、男親ゆえに気がつかないところがあるのではないのかと、子の出発ぎりぎりまで心配なのである。参加者に配られたパンフレットを、子供が寝た後で何度もチェックしている作者の姿が目に浮かぶ。こんなに読者をも巻き込んで、はらはらさせる句も、そうめったにあるものではない。『俳句歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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