やっと本格的な夏の到来。雲の峰、麦藁帽子、アイスキャンデー。そんな歳でもないか。




2005ソスN7ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2872005

 外寝する人に薄刃のごとき月

                           星野石雀

の句の季語は何かと問われたら、疑いもなく「月」と答える人が大半だろう。となれば、季節は秋だ。となれば、寒さが忍び寄ってくるような夜に「外寝する人」とは、いわゆるホームレスの人というイメージになる。そう捉えて解釈してもいっこうに構わないようなものだが、取り合わせがつきすぎていて、句としての深みには欠ける気がする。最初から、底が割れている感じだ。ところが実は、季語は月ではなくて「外寝(そとね)」なのである。夏の夜の蒸されるような家の中を避けて、縁側や庭先など外気のあたるところで寝ることだ。昼寝に対して、夜の仮眠という趣きである。となれば、句の解釈は大いに変わってくる。束の間の仮眠にせよ、作者が見ている外寝の人は、よく眠り込んでしまっているのだろう。折しも空には月がかかっていて、まるで「薄刃(うすば)」のように鋭利で不気味に写る。すなわち、太平楽にも地上でぐっすりと寝ている人に、いわば不吉な影が射している。このときに句全体が象徴しているのは、人がたとえどのような好調時であろうとも、すぐ近くにはたえずその人生を侵犯するような危険な要素が寄り添っているということではなかろうか。「知らぬが仏」ですめばそれに越したことはないけれど、いつかはわずかな無防備の隙を突かれてしまいかねない脆さを、私たちは有しているということだ。この「外寝」も死語になってしまったが、いくら何重かの鍵をかけて室内にこもろうとも、薄刃のごとき月は死ぬことはない。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


July 2772005

 銀座には銀座のセンス夏帽子

                           松本青風

語は「夏帽子」。麦わら帽、登山帽、パナマ帽など、夏用の帽子ならいずれでもよい。まだ帽子をかぶる人の多かったころの銀座の夏。思い思いの夏帽子をかぶった人が、行き交っている。作者自身もかぶっているのだろうが、人々の帽子姿を眺めているうちに、おのずから銀座という街に似合っている帽子とそうでないものとが判然としてきた。すなわち「銀座には銀座のセンス」というものがあるのだ。最新流行と称されるものや高価そうなものが、必ずしもこの街に似合うとは言えない。現在にも増して、昔の銀座は保守的な街だったから、そこでのセンスを身につけるためには、やはりそれなりの年期が必要だったろう。私の観察してきたところでも、銀座には発売中のファッション雑誌から抜け出てきたようないでたちの人は、まず登場してこない。そういう人たちは最初に新宿や澁谷などに出現し、彼らのファッションが相当にこなれてきた段階で、ようやく銀座にもぽつりぽつりと姿を現しはじめるのだ。むろん例外はいくらでもあるけれど、大筋はそういうところに収まってきている。そして銀座に限ったことではなく、どこの街にもそれぞれに固有のセンスがあるのは面白い。たとえば心斎橋には心斎橋の、博多に博多のセンスがあって、旅行者として街を歩いているとよくわかる。と同時に、旅先の街のセンスには、自分が他所者でしかないことを思い知らされるのでもある。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


July 2672005

 昭和ヒトケタ夾竹桃は激流なり

                           富田敏子

語は「夾竹桃(きょうちくとう)」で夏。花期の長さは百日紅(さるすべり)に負けず劣らずで、秋になっても咲いている。とにかく頑健という印象が濃い。昔から毒性があると言われ(実際、強心作用のある物質を含むという)、一般家庭の庭などからは忌避されてきた。しかし、乾燥状態や排気ガスなどの公害物質にもめっぽう強いので、工場の周辺だとか高速道路脇などに多く植えられている。句の「昭和ヒトケタ」は、昭和の初年から九年までの生まれを指す。この世代はいちばん若い人でも、敗戦時には小学校(当時は「国民学校」の名称)の高学年であった。敗戦の意味もわかり、口惜しい思いもし、以後の混乱期の大変さを体感している。だから、この世代が夾竹桃の咲く季節になると必ず思い起こすのは、いまと変わらずピンクや白の花が咲き誇っていた往時のことどもだろう。まさに激動の時代、炎天下でのしたたる汗をこらえるようにして、数々の受苦をじっと耐え忍ぶしかなかった時代のあれこれのこと……。そういうことどもからすれば、群生する夾竹桃はただ単にそこに立って或る植物というよりも、むしろ激しく心をかき乱しに押し寄せてくる「激流」のようではないか。いや、激流そのものなのだ。この世代の人はみな、いまや七十代である。その七十代に、今年の夏もまた激流が押し寄せてきた。『ものくろうむ』(2003)所収。(清水哲男)




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