阿部恭久、佐々木安美、松下育男の「生き事」は、久しぶりのやる気のある同人詩誌だ。




2005ソスN8ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0482005

 蚊柱や昔はみんな生きてゐた

                           吉田汀史

語は「蚊柱(かばしら)」で夏、「蚊」に分類。蒸し暑い夏の夕方などに、蚊が群れをなして飛んでいるのを見かけることがある。最初は少数だが,たちまち数百匹の大集団になる。これは蚊の生殖行動だそうで、蚊柱を形成するのはすべて雄であり、その大集団に飛び込んでいくのが雌なのだそうな。人間には見るだけで鬱陶しい蚊柱ではあるが、蚊にしてみれば,生涯のうちで最も生命力の溢れている時空間なのだ。そのことに思いが至り,作者はふっと既に鬼籍に入っている誰かれのことを思い出したのではなかろうか。父や母のこと、親しかった友人知己の元気なころのことなどを……。すなわち、「昔はみんな生きてゐた」のだった。生きていたみんなのことを目障りな蚊柱から思い出しているところに、掲句のやるせなく切ないとでも言うべきペーソスを感じる。しかも蚊柱は,短時間のうちに消えてしまう。その儚さがまた、句にいっそう苦い味を付加している。作者には失礼かもしれぬが、句を読んだ途端に,私は「♪ぼくらはみんな生きている」ではじまる「てのひらを太陽に」という子供の歌を思い出し,なんとなく「♪昔はみんな生きてゐた」と歌ってみた。そうすると,本歌の毒々しくも能天気な向日性が消えてしまい,なかなか味わい深い歌に転化したのには我ながら驚いた。いま、首をひねった方,どうか一度お試しください。俳誌「航標」(2005年8月号)所載。(清水哲男)


August 0382005

 サラリー数ふ恋ざかりなる日盛に

                           高山れおな

語は「日盛(ひざかり)」で夏。前書に「みずほ銀行西葛西支店」とあり、私はこの支店を知らないけれど、句と合わせると奇妙なリアリティが感じられる。これがたとえば六本木支店だとか麹町支店だと、同じ句との組み合わせでも相当にニュアンスが異なってくる。西葛西のほうに、だんぜん庶民的な生活の匂いがあるからだ。猛暑の昼日中、今宵のデートのために「サラリー」を引き出して数えている図だろう。なにしろ「恋ざかり」なのだからして、残額がちょっと心配になるくらいの多めの額を下ろしたのに違いない。わかりますねえ。これだけ用意すれば足りるだろうと,汗を拭いつつていねいに数えている様子は,微笑ましくもつつましやかで好感が持てる。私がサラリーマンだったころは現金支給だったので、「恋ざかり」の、すなわち独身の男らはたいてい、袋のままに全月給を持ち歩いていたものだ。現在のカップルはかかった費用を割り勘にするのが普通のようだが、昔は食事代やら映画代やらたいていのものは男が払うものと、なんとなく決まっていた。だから、恋愛中の男は目一杯持ち歩かざるを得ないという事情があったし、恋少なき私などは、いちいち銀行の窓口に行くのが面倒臭くて無精を決め込んでいただけの話だが……。それはともかく、割り勘であろうがなかろうが、恋愛には金もかかる。恋愛の情熱や精神についての書物は古来ゴマンとあるけれど、誰か「恋愛の経済学」といったようなテーマで一冊書いてくれないかしらん。『荒東雑詩』(2005)所収。(清水哲男)


August 0282005

 髪濡れて百物語に加はりぬ

                           島 紅子

語は「百物語」で夏。さきごろ(2005年7月22日)亡くなった杉浦日向子に、『百物語』なる好著がある。森鴎外にも同名の短編があるが、これが季語であることは,恥ずかしながらつい最近まで知らなかった。はじめて百物語に出かけた体験を描いた鴎外の文章から引いておくと,「百物語とは多勢の人が集まって、蝋燭(ろうそく)を百本立てて置いて、一人が一つずつ化物の話をして、一本ずつ蝋燭を消して行くのだそうだ。そうすると百本目の蝋燭が消された時、真の化物が出ると云うことである」。したがって、季語としては「肝試しの会」というような意味合いだろう。つづけて鴎外はいかにも医者らしく,「事によったら例のファキイルと云う奴がアルラア・アルラアを唱えて、頭を掉(ふ)っているうちに、覿面(てきめん)に神を見るように、神経に刺戟を加えて行って、一時幻視幻聴を起すに至るのではあるまいか」と述べている。掲句が,いつごろの作かは知らない。が、そう古いものでもなさそうなので、地方によっては現在も、夏の夜の楽しみとして百物語が催されているのかもしれない。「髪濡れて」は洗い髪であるはずはないから、会場に来る途中に夕立にでもあったのだろうか。怪談にはしばしば濡れた髪の女が登場するけれど,不本意でも,他ならぬ自分がそんな格好で怪談の場に加わったことの滑稽を詠んでいる。おどろおどろしい雰囲気で会が進行するなか、隣りの人あたりが濡れた髪に気がついて「ぎゃっ」とでも声を上げたらどうしようか……。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)




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