東京10区問題。高みの見物なるも、あまりに子供っぽすぎないか。弱者無視、国民無視。




2005ソスN8ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1182005

 石工の鑿冷し置く清水かな

                           与謝蕪村

語は「清水」で夏。「石工」は「いしきり」と読む。汗だくの石工が,近くの冷たい清水で「鑿(のみ)」を冷しながら仕事をしている。炎天下,往時の肉体労働のシーンが彷佛としてくる。石を削ったり割ったりした鑿は,手で触れぬくらいに熱くなったことだろう。ところで、戦後の数年間の我が家はずいぶんと「清水」のおかげを蒙った。移住した村には水道がなく、多くの家は井戸水で暮らしていた。我が家は貧乏だったので,その井戸を掘る金もない。頼るは、数百メートル先にこんこんと湧いていた清水のみで、父が朝晩そこから大きなバケツで何往復もして水を汲んできては生活用水としていた。洗面の水や炊飯の水から風呂の水まで、あの清水がなかったらとうてい生活するのは無理だった。むろん、この水を使っていたのは我が家ばかりではなく、井戸のある家の人でもそこで洗濯をしたり農耕の道具を洗ったりと,つまり生活に密着した水源なのであった。したがって私には、春夏秋冬を通しての命水であった「清水」が「夏」の季語であるという認識は薄い。私などの世代より、昔の人になればなるほどそうだったろう。馬琴の『俳諧歳時記栞草』(岩波文庫)を読むと,文献から引用して、こうある。「清水とばかりを夏季とせしは、例の蕉門の新撰としるべし」。すなわち「清水」を夏の季語にしたのは,芭蕉一統であると……。三百年も前,生活用水として多くの人が利用していた水を,いわば風雅の点景に位置づけた芭蕉を私は好まない。その点,掲句はまだ「清水」をまっとうに詠んでいるほうである。(清水哲男)


August 1082005

 羅を着し自意識に疲れけり

                           小島照子

語は「羅(うすもの)」で夏。昔は薄織の絹布の着物を指したが,現在では薄く透けて見える洋服にも言うようだ。「うすものの下もうすもの六本木」(小沢信男)。あまりに暑いので,思い切って「羅」を着て外出した。そうすると普段とは違って,どうしても「自意識」から他人の視線が気になってしまう。どこに行っても,周辺の誰かれから注視されているようで、気の休まるひまがない。すっかり疲れてしまった、と言うのである。さもありなん、共感する女性読者も多いだろう。この「自意識」というやつは被害者意識にも似て、まことに厄介だ。むろん女性に限ったことではないが、とかく過剰になりがちだからである。一歩しりぞいて冷静に考えれば,誰もが自分に注目するなど、そんなはずはあり得ないのだけれど、自意識の魔はそんな客観性を許さない。他人の視線に身を縮めれば縮めるほど,ますます魔物は肥大するばかりなのである。疲れるわけだ。そして更に自意識が厄介なのは,作者の場合は過剰が恥じらいに通じているのだが、逆に過剰が厚顔無恥に通じる人もいる点である。こうした人の場合には,誰もが自分に注目しているはずだと信じ込んでいて,ちょっとでも視線を外そうものなら(比喩的に言っているのですよ)、自分を無視したと怒りだしたりする。いわゆる「ジコチュー」的人種で、政治家だの芸能人に多いタイプだ。ま、それくらいでないと勤まらない商売なのだろうが、あんまりお友だちにはなりたくないね。俳誌「梟」(2005年8月号)所載。(清水哲男)


August 0982005

 まろび寝に氷菓もたらす声にはか

                           堀口星眠

語は「氷菓(ひょうか)」。アイスキャンデーやアイスクリームなど、夏の氷菓子の総称。暑い日の昼下がり,寝ころんでうとうとしていると、家人から「にはか」の声がかかった。アイスキャンデーを買ってきたから,すぐに起きて来なさいと言う。いまでこそ、冷凍庫に保管しておいて後で食べるテもあるけれど、冷蔵庫の無い時代はそうは行かなかった。買ってきたらすぐに食べないと,たちまち溶けてしまう。待った無し、なのである。だから気持ちよげに昼寝をしている人であろうが、無理にでも起こさなければならなかった。しかしこういう場合には,急に起こされた側も悪い気はしないものだ。機嫌良く「おっ」と跳ね起きて,既に少し溶けかけて滴っているバーを手にするのも、真夏ならではの楽しいひとときだったと言える。それにつけても毎夏残念に思うのは,私が子供だったころのような固いアイスキャンデーが無くなってしまったことだ。出来たてはとくにカチンカチンで、少々のことでは歯が立たないほどだった。だからまず、しばらくしゃぶって柔らかくしたものだが、このときに舌にぴたっと氷が吸いついてくる感じも忘れられない。あの固さは多分、原料にミルクを使わなかった(高価で使えなかった)せいだろう。安物だったわけだ。が、私はいまのものより、数倍も美味かったと信じている。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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