ひところほどではないが、この週末の東京は静かになる。帰省される方、お気をつけて。




2005ソスN8ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1282005

 皆夕焼熱を持ち込む東京駅

                           金子篤子

語は「夕焼」で夏。「東京駅」といっても,働く人の多い丸の内南口側の情景だろう。夕焼のはじまる時刻は,すなわちラッシュアワーのはじまるころの時間帯でもある。近隣のオフィスで働いている人々がぞくぞくと帰途につきはじめたころ、空が美しく夕焼けてきた。それまで閑散としてひんやりしていた東京駅の構内に、次々に「皆」がその「夕焼(の)熱」を持ち込んでゆく。むろん、作者もその一人だ。駅とその周辺に、朝のラッシュ以来の活気が戻ってきたのである。赤煉瓦の東京駅を夕焼の下に置いた構図も美しいし,それぞれの人の体温というか体熱を夕焼のそれに見立てたセンスも面白い。海辺や山の地で静かに暮れてゆく空の夕焼も素晴らしいが,こうした雑踏する大都会のなかで仰ぐ夕焼にはまた独特の情趣が感じられる。とこころでご存知のように,東京駅は先の大戦時の空襲により被災している。辰野金吾設計によるこの駅は,大正三年末開業時の姿を完全にはとどめていないわけだが、現在往時の原型を取り戻すべく復元計画が進行中なのだそうだ。来年から工事をはじめて、2010年の完成予定という。「さながら宮殿の如し」と称えられた丸形(八角形)の二基の大ドームもそのまま復元されるというから楽しみだ。とはいえ、毎日利用している人には迷惑千万なことになるのでしょうが……。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


August 1182005

 石工の鑿冷し置く清水かな

                           与謝蕪村

語は「清水」で夏。「石工」は「いしきり」と読む。汗だくの石工が,近くの冷たい清水で「鑿(のみ)」を冷しながら仕事をしている。炎天下,往時の肉体労働のシーンが彷佛としてくる。石を削ったり割ったりした鑿は,手で触れぬくらいに熱くなったことだろう。ところで、戦後の数年間の我が家はずいぶんと「清水」のおかげを蒙った。移住した村には水道がなく、多くの家は井戸水で暮らしていた。我が家は貧乏だったので,その井戸を掘る金もない。頼るは、数百メートル先にこんこんと湧いていた清水のみで、父が朝晩そこから大きなバケツで何往復もして水を汲んできては生活用水としていた。洗面の水や炊飯の水から風呂の水まで、あの清水がなかったらとうてい生活するのは無理だった。むろん、この水を使っていたのは我が家ばかりではなく、井戸のある家の人でもそこで洗濯をしたり農耕の道具を洗ったりと,つまり生活に密着した水源なのであった。したがって私には、春夏秋冬を通しての命水であった「清水」が「夏」の季語であるという認識は薄い。私などの世代より、昔の人になればなるほどそうだったろう。馬琴の『俳諧歳時記栞草』(岩波文庫)を読むと,文献から引用して、こうある。「清水とばかりを夏季とせしは、例の蕉門の新撰としるべし」。すなわち「清水」を夏の季語にしたのは,芭蕉一統であると……。三百年も前,生活用水として多くの人が利用していた水を,いわば風雅の点景に位置づけた芭蕉を私は好まない。その点,掲句はまだ「清水」をまっとうに詠んでいるほうである。(清水哲男)


August 1082005

 羅を着し自意識に疲れけり

                           小島照子

語は「羅(うすもの)」で夏。昔は薄織の絹布の着物を指したが,現在では薄く透けて見える洋服にも言うようだ。「うすものの下もうすもの六本木」(小沢信男)。あまりに暑いので,思い切って「羅」を着て外出した。そうすると普段とは違って,どうしても「自意識」から他人の視線が気になってしまう。どこに行っても,周辺の誰かれから注視されているようで、気の休まるひまがない。すっかり疲れてしまった、と言うのである。さもありなん、共感する女性読者も多いだろう。この「自意識」というやつは被害者意識にも似て、まことに厄介だ。むろん女性に限ったことではないが、とかく過剰になりがちだからである。一歩しりぞいて冷静に考えれば,誰もが自分に注目するなど、そんなはずはあり得ないのだけれど、自意識の魔はそんな客観性を許さない。他人の視線に身を縮めれば縮めるほど,ますます魔物は肥大するばかりなのである。疲れるわけだ。そして更に自意識が厄介なのは,作者の場合は過剰が恥じらいに通じているのだが、逆に過剰が厚顔無恥に通じる人もいる点である。こうした人の場合には,誰もが自分に注目しているはずだと信じ込んでいて,ちょっとでも視線を外そうものなら(比喩的に言っているのですよ)、自分を無視したと怒りだしたりする。いわゆる「ジコチュー」的人種で、政治家だの芸能人に多いタイプだ。ま、それくらいでないと勤まらない商売なのだろうが、あんまりお友だちにはなりたくないね。俳誌「梟」(2005年8月号)所載。(清水哲男)




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