August 142005
ケチャップの残りを絞る蝉の声
桑原三郎
どこにも書かれてはいないけれど、晩夏を詠んだ句だと思う。「残り」「絞る」という語句に,過ぎ行く時、消え去るものが暗示されているように読めるからだ。半透明のプラスチック容器から、残り少なくなったケチャップを絞り出すのは,なかなかに厄介である。ポンポンと底を叩いてみたり,容器を端っこからていねいに絞り上げてみたりと、いろいろ試みても,なかなかすんなりとは出て来てくれない。かといって、まだかなり残っているのに捨てるのも惜しいし,けっこう苦労を強いられてしまう。暑さも暑し,そんなふうにして時おりぽとっと落ちてくるケチャップの色はちっとも涼しげではないし,表からは今生の鳴き納めとばかりに絞り出されているような「蝉の声」が聞こえてくるし……。日常的にありふれた食卓の情景とありふれた蝉の鳴き声とを取り合わせて,極まった夏の雰囲気を的確に伝えた句だと読めた。この洒落っ気や、良し。さて、ここで作者のように、ケチャップを絞り出すのに苦労しているみなさんに朗報が(笑)。「日本経済新聞」によれば「ハインツ日本株式会社(本社:東京都台東区浅草橋5−20−8、代表取締役社長:松村章司)は、2005年9月1日(木)より、液ダレしないノズルと、逆さに置ける洗練されたデザインのボトルが特長の『トマトケチャップ 逆さボトル』(通称、逆さケチャップ)を日本で初めて発売いたします。ケチャップは、「液ダレしてキャップの口が汚れ、不衛生」、「へなっとしたボトルは食卓やキッチン台に置きにくい」、「残量が少なくなると出しにくい」など、さまざまな問題点がありました。今回発売される『逆さケチャップ』は、このような主婦の悩みを解決する新しい付加価値商品です」と。『不断』(2005)所収。(清水哲男)
January 282007
回りつづけて落とすものなし冬の地球
桑原三郎
星と星が引き合う力を、孤独と孤独が引き合っていると言ったのは、谷川俊太郎です。地球が回っているのに、自身の表面から何もはがれてゆかないのは、たしかに引力というさびしさによるものなのかもしれません。生きるということは、大地に引っ張り続けられることです。この句の視線はあきらかに、大空を見上げるものではなく、地球を側面から、あるいは鳥の目で見下ろしています。このような乾いた視線を、ためらいもなく作品に提示できるのは、俳句だからの事のような気がします。どんな世界を描いていても、有無を言わさず言葉を切り落としてしまう俳句だからこそ、可能なのではないでしょうか。詠まれている空間の大きさにもかかわらず、わたしはこの句に、なぜかミニチュアの、部屋の中に作られた宇宙のような印象を持ちます。目の前に広がる空間に、地球が浮かび、ガラガラ音をたてながら回っています。目を近づければ、細かな町並みが通っており、しがみつくようにして小さな人々が歩いています。むろん部屋の外は冬。窓をあければ、地球全体に北風が吹き込みます。『生と死の歳時記』(1999・法研)所載。(松下育男)
June 082008
足跡は一歩にひとつ作り雨
桑原三郎
作り雨という、なんとも品のよい言葉に目がとまりました。歳時記の解説によりますと、「屋根などから水道水を雨のように庭に降らせて涼を作り出すこと」とあります。夏の盛りの日の照りつけている道を、暑さに耐えながら一歩一歩と歩いている人に、ふと、水しぶきが当たります。顔を上げてみれば、ある一軒の家の屋根からきらきらと冷たい水が降り注いでいる、そんな意味なのでしょうか。「足跡は一歩にひとつ」までは、なんでもない日常の中で、ひたむきに生きている人の姿を象徴しているようにも読めます。こつこつと生きてゆく日々には、特に何が起きるわけでもありません。そんな折、ちょっとした非日常の輝きに満ちた驚きが訪れることがある、それが「作り雨」によってあらわされているのではないのでしょうか。一歩にひとつという、当然のことをことさらに言うことで、日々の耐え忍ぶさまが巧みに表現されています。さらに、「作り雨」の「作る」が、「足跡」にもかかっているようにも見えますが、そこまで解釈を広げてしまうと、私にはもう手に負えません。ともあれ「作り雨」、美しい言葉です。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店) 所載。(松下育男)
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