宇部商業散る。最後は好永の独り相撲だったが、よくやった。さあ、夜は阪神の応援だ。




2005ソスN8ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1982005

 晩夏の旅家鴨のごとく妻子率て

                           北野民夫

語は「晩夏(ばんか)」で夏。夏の末。暑さはまだ盛りだが,どことなく秋の気配がしのび寄りはじめる。見上げると,空には入道雲にかわってうろこ雲がたなびいている。作者の名前をはじめて知ったのは,大学生のときだった。細々と投稿をつづけていた「萬緑」(中村草田男主宰)には、現在の主宰である成田千空をはじめ、香西照雄、平井さち子、花田春兆、磯貝碧蹄館などの錚々たる同人が並んでおり,北野民夫もその一人であった。しかも、この人の名は雑誌の奥付にもあった。つまり作者は,「萬緑」の発行元「みすず書房」社主でもあったわけだ。したがって業務多忙ということもあったろうが、社員をさしおいて社長が先に夏休みをとるわけにもいかず、やっと休暇がとれたころは既に晩夏だったというわけだ。子供らにせがまれたのだろう。人並みに行楽地に家族旅行と洒落込んではみたものの、もう人出のピークはとっくに過ぎていて,かなり閑散としている。人出が盛んなら当たり前に見える家族連れが、やけに目立つように感じられてならない。「妻子率て」歩いているうちに,なんだか自分たち一家がひょこひょこと連れ立つ「家鴨」の集団のように思えてきて,苦笑いしている。「率て」は「ひきいて」だろうが、字余りを嫌うのなら「いて」の読みも可能だ。が、音読の際に意味不明になるのが悩ましいところ。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 1882005

 八月や後戻りして止まる電車

                           吉田香津代

のJR福知山線の大事故以来,電車の停車駅でのオーバーランが俄にクローズアップされてきた。どこの管内ではオーバーランが一日に何度あったか、などと新聞に載る。運転者にすればオーバーランは仕事の失敗であり,それが給与の減額などに反映されるとなれば、失敗を挽回すべく無理をすることになり、結果としてもっと大きな失敗を犯すことにもつながっていく。私も事故はご免だけれど,しかしながら、オーバーランにあまりにも神経質になってカリカリするような世間もご免だ。効率一本槍の余裕の無さは,私たちの内面までをも浸食し、味気ない生活を再生産することに資するだけではないのか。掲句の作者は,カリカリしているだろうか、苛立っているだろうか。私には,逆に思われる。「八月や」の「や」は「八月なのだから、暑い季節なのだし」と、運転者を少しも責めてはいない。もっと言えば運転者にも意識は及んでいなくて、むしろ「電車」そのものを生き物のように捉えている。暑いからつい間違って行き過ぎることだってあるし、行き過ぎたらゆっくり「後戻り」すれば、それでよろしい。なにしろ、いまは八月なんだからね。と、ゆったりと構えて微笑しているのだと思う。掲句に触れて,私は高校時代に乗っていた東京の青梅線を思い出した。ちょっとしたオーバーランなどは、しょっちゅうだった。で、その都度,後戻りだ。後戻りした電車から降りるときに見ると,見事に所定の位置に止まっていた。それを見て,はじめて意識は運転者に向かい,バックしてきちんと止められるなんぞは凄いなと感心したりしてた思い出。『白夜』(2005)所収。(清水哲男)


August 1782005

 よく噛んで食べよと母は遠かなかな

                           和田伊久子

語は「かなかな」で秋、「蜩(ひぐらし)」に分類。どういうわけか我が家の近隣では,ここ十数年ほど、まったく鳴いてくれなかった。それがまたどういうわけか、十日ほど前から突然にまた鳴きはじめたのである。数は少なくて,一匹か二匹かと言うほどに淋しいが,とにかく「かなかな」は「かなかな」である。素朴に嬉しい。そして、なんと昨日は朝の起き抜けにも鳴いた。まだ明けきらぬ四時半くらいだったか、一瞬空耳かと疑い,窓を大きく開けてたしかめたら、たった一匹だったけれど、やはり「かなかな」であった。早朝の鳴き声は,田舎にいた少年時代以来だろう。夕刻の声は寂寥を感じさせるが,早暁のそれは清涼感のほうが強くて寂しさはないように思われる。やはり一日のはじまりということから、自然に気持ちが前に向いているためなのだろうか。懐かしく耳を澄ましながら、しばししらじらと明けそめる空を眺めていた。伴うのが寂寥感であれ清涼感であれ,「かなかな」の声は郷愁につながっていく。「子供にも郷愁がある」と言ったのは辻征夫だったが、ましてや掲句の作者のような大人にとっては,「かなかな」に遠い子供時代への郷愁を誘われるのは自然のことだ。遠い「かなかな」,遠い「母」……。もはや子供には戻れぬ身に、母の極めて散文的な「よく噛んで食べよ」の忠告も,いまは泣けとごとくに沁み入ってくるのだ。私たち日本人の抒情する心の一典型を、ここに見る思いがする。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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