縁もゆかりもない地方から立候補する気持ちはどんなものだろうか。不可解至極である。




2005ソスN8ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2282005

 向日葵に大学の留守つづきおり

                           鈴木六林男

語は「向日葵(ひまわり)」で夏。「大学の留守」、すなわち暑中休暇中の大学である。閑散とした構内には,無心の向日葵のみが咲き連なっている。まだまだ休暇はつづいてゆく。向日葵が陽気な花であるだけに、学生たちのいない構内がよけいに寂しく感じられるということだろう。そして元気に若者たちが戻ってくる頃には,もう花は咲くこともないのである。私も学生時代に、一夏だけ夏休みに帰省せず,連日がらんとした構内を経験した。向日葵は植えられてなかったと思うが,蝉時雨降るグラウンド脇をひとりで歩いたりしていると、妙に人恋しくなったことを覚えている。誰か一人くらい、早く戻ってこないかな。と、その夏の休暇はやけに長く思われた。これには九月に入っても、クラスの半分くらいは戻ってこなかったせいもある。ようやくみんなの顔が揃うのは,月も半ば頃だったろうか。むろん夏休みの期間はきちんと決まってはいたけれど、そういうことにはあまり頓着なく、なんとなくずるずると休暇が明けていくのであった。そのあたりは教える側も心得たもので、休暇明け初回の授業の多くは休講だったような覚えがある。大学で教えている友人に聞くと,いまではすっかり様変わりしているらしい。学生はきちんと戻ってくるし,休講などとんでもないという話だった。大学も世知辛くなったということか。『王国』(1978)所収。(清水哲男)


August 2182005

 仰ぎ見て旱天すがるなにもなし

                           石原舟月

語は「旱天(かんてん)」で夏、異常とも言える日照りつづきの空のこと。「旱(ひでり)」に分類。報道によれば,早明浦ダム(高知県)の貯水率が19日(2005年8月)午後8時に0%になり、ダムに残された発電用水の緊急放流が始まった。水道水の半分を同ダムの水に頼っている香川県では現在、高松市など5市13町が、水を出にくくする減圧給水を実施している。いまのところ、まとまった雨は予想されていない。全く雨が降らなかった場合、発電用水も約1カ月で底をつくという。隣県の徳島でも事態は深刻化しており,お住まいの皆さんは、まさに掲句の作者のような気持ちでおられるだろう。お見舞い申し上げます。私の経験した大渇水は1964年(昭和三十九年)の東京のそれで、目前に東京五輪を控えていたため「オリンピック渇水」の異名がある。急激な人口膨張と建築ラッシュも一因だったろうが、とにかく雨が降ってくれず,表に出れば空を見上げてばかりいたことを思い出す。当時の東京都知事は、戦後二代目の東龍太郎。彼が渇水に何ら有効なテを打たないのは,自分の家に井戸があるからさ。そんなまことしやかな陰口もささやかれていた。台風でも来てくれないかと、真剣に願ったものである。まさに「旱天すがるなにもなし」の思い……。自然のパワーには、抗しがたし。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 2082005

 だけどこの子は空襲で死んだ草

                           小川双々子

季句だが、夏を思わせる。「空襲」ののちの敗戦は、折りしも「草」生い茂る夏のことだったからだろう。掲句を含む連作「囁囁記」のエピグラフには、旧約聖書「イザヤ書」の次の一節が引かれている。イザヤは、キリスト生誕の700年以上前に登場した預言者だ。「人はみな草なり/その麗しさは、すべて野の花の如し/主の息その上に吹けば/草は枯れ、花はしぼむ。/げに人は草なり、/されど……」。すなわち「囁囁記」の諸句は、このイザヤの言の「されど……」を受けたかたちで展開されている。なかでも掲句は,「されど」を「だけど」と現代口語で言い直し,言い直すことで、草である人の現代的運命の悲惨を告発している。「子」は小さい子供というよりも、「神の子」たる人間のことを指しているのではなかろうか。作者の父親は空襲の際、防空壕のなかで窒息死している。その父親がまず,作者にとっての「この子」であると読むのは自然だろう。たとえそうした背景を知らなくても,引用されたイザヤの言葉を頭に入れていれば、「子」が「空襲で死んだ」個々人に及んでいると読めるはずである。ちなみにイザヤ書の「されど……」以下の部分は、こうだ。「我らの神の言葉は永遠に立つ」。キリスト者である作者はこの言を受け入れつつも,しかしなお「だけど」と絞り出すようにして書きつけている。やがては枯れる運命も知らぬげに、いま盛んな夏草の一本一本が,掲句によってまことにいとおしい存在になった。『囁囁記』(1998・1981年の湯川書房版を邑書林が再刊)所収。(清水哲男)




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