台風11号大接近。昨日,あわてて今日夕刻の予定をキャンセル。被害が出ませんように。




2005ソスN8ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2582005

 汝が好きな葛の嵐となりにけり

                           大木あまり

語は「葛(くず)」で秋。「葛の花」は秋の七草の一つだが、掲句は花を指してはいない。子供の頃の山中の通学路の真ん中あたりに、急に眺望の開ける場所があった。片側は断崖状になっており、反対側の山の斜面には真葛原とまではいかないが、一面に葛が群生していた。そこに谷底から強い風が吹き上がってくると,葛の葉がいっせいに裏返ってあたりが真っ白になるのだ。葛の葉の裏には,白褐色の毛が生えているからである。大人たちはこの現象を「ウラジロ」と言っていて、当時の私には意味がわからなかったけれど、後に「裏白」であると知った。壮観だった。古人はこれを「裏見」と称し「恨み」にかけていたようだが、確かにあれは蒼白の寂寥感とでも言うべき総毛立つような心持ちに、人を落し込む。子供の私にも,そのように感じられたが、嫌いではなかった。「全山裏白」と,詩に書きつけたこともある。ところで、掲句の「葛の嵐」が好きな「汝」とはどんな人なのだろう。この句の前には、「身に入むと言ひしが最後北枕」、「恋死の墓に供へて烏瓜」の追悼句が置かれている。となると、「汝」はこの墓に入っている人のことだろうか。だとすれば、墓は葛の原が見渡せる場所にあるというわけだ。無人の原で嵐にあおられる裏白の葛の葉の様子には、想像するだに壮絶な寂しさがある。それはまた、作者の「汝」に対する心持ちでもあるだろう。「俳句」(2005年9月号)所載。(清水哲男)


August 2482005

 帰省子の鞄に入れる針と糸

                           松田吉憲

針と糸
語は「帰省」で夏。最近、チャップリンの『ライムライト』を見る機会があった。クライマックス近く,舞台袖の大道具の陰で踊り子の成功をひざまずいて祈るシーンがある。通りかかった大道具係が見とがめると,「なにね、ボタンが落ちちゃったもんで」と誤摩化してやり過ごした。なんでもないようなシーンだが,私は「ああ」と思った。そうだった。糸が粗悪だったせいで、昔のボタンは実に簡単に落ちたものだった。だからこういうシーンも成立したわけで,現在ではこの言い訳にはかなり無理があるだろう。そんな具合だったから、私の学生時代に「針と糸」は必需品だった。男でも,ちょっとした糸かがりやボタンつけは誰でもできた。掲句は,そろそろ「帰省子」が大学に戻るための準備をはじめていて、忘れないようにと親が早めに「針と糸」を鞄にそっと入れてやっている図だ。この親心。句としてはいささか平凡だけれど、あの時代を正確に反映しているところに注目した。「針と糸」といえば、もう三十年も昔のことも思い出す。仕事でラスベガスのホテルに滞在したことがあって、部屋に入ったらベッドサイドのデスクの上に写真のサービス品が置いてあった。一瞬マッチかなと思って手に取ってみると,これがまあなんと「針と糸」だったのには驚いた。ホテルは当時,超一流と言われた「シーザース・パレス」である。私などは例外として,まず大金持ちしか泊まらない。だから、どうにも「針と糸」はそぐわないのだ。金持ちは細かい出費にシビアだというから、案外,部屋でボタンつけなどやっていたのかもしれないけれど……。記念に持ち帰ってきたのだが、いまだに謎は謎のままである。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


August 2382005

 壯年すでに斜塔のごとし百日紅

                           塚本邦雄

語は「百日紅(さるすべり)」で夏。作者は、歌人の塚本邦雄である。いまを盛りと百日紅が咲いている。よく樹を見ると,がっしりとしてはいるが「斜塔」のように少し傾(かし)いでいるのだろう。その様子を、生命力盛んな人間の「壯年」の比喩に見立てた句だ。すなわち、最高度の充実体のなかに「すでに」滅びの兆しが現われているのを見てしまったというわけで、いかにも塚本邦雄らしい感受性が滲み出ている。掲句は、たとえば彼の短歌「鮎のごとき少女婚して樅の苗植う 樅の材(き)は柩に宣(よ)し」に通じ,またたとえば「天國てふ檻見ゆるかな鬚剃ると父らがけむる眸(まみ)あぐるとき」に通じている。加えて「斜塔」のような西洋的景物を無理無く忍び込ませているのも塚本ワールドの特長で,無国籍短歌とも評されたが、塚本の意図はいわゆる日本的な抒情のみに依りすがる旧来の短歌や俳句を否定することにあった。この感覚に若い読者が飛びつき,エピゴーネン的実作者が輩出したのも当然の流れだったと言うべきか。塚本は言った。「同じ歌風を全部が右へならえして、一つの結社でチーチーパッパとやっている神経が,どうしてもわかりません。練習期間が過ぎてもまだ師匠と同じように歌っていることに疑問を感じないのは,一種の馬鹿じゃないかと思う。だから、いつまでも私の真似をする人もきらいなんです」。現代詩手帖特集版『塚本邦雄の宇宙 詩魂玲瓏』(2005)所載。(清水哲男)




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