「刺客」ばやりの世の中に,遂に出ました『刺客の女』。見られない方にはご免なさい。




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August 2882005

 大瀑布ひとすじ秋の声を添ふ

                           篠田悌二郎

語は「秋の声」。ものの音、ものの気配に秋をききつけるのである。心で感じとる秋の声だ。「瀑布(ばくふ)」は滝のことだが、作者は大きな滝の落ちる「音」に「秋の声」を聞き取ったのではあるまい。日は中天にあって,なお真夏のように暑いのだけれど、滝に見入っているとどことなく秋の気配が感じられたということだろう。「ひとすじ」とあるが、これもまた具体的な滝の一部を指しているのではなく、「秋の声」のかすかな様子を表現している。「ひとすじ」「添ふ」の措辞が、非常に美しい。ところで歳時記をめくると、この「秋の声」は「天文」の部に分類されている。私などはむしろ「時候」の部に入れたほうがよいのではと思うのだが,なぜ「天文」なのだろうか。こうした分類法が合理的でないと言ったのは,俳句もよくした寺田寅彦であった。「今日の天文學(アストロノミー)は天體、即、星の學問であつて氣象學(メテオロヂー)とは全然其分野を異にして居るにも拘らず、相當な教養ある人でさへ天文臺と氣象臺との區別の分らないことが屡々ある。此れは俳諧に於てのみならず昔から支那日本で所謂天文と稱したものが、昔のギリシャで「メテオロス」と云つたものと同樣『天と地との間に於けるあらゆる現象』といふ意味に相應して居たから、其因習がどうしても拔け切らないせゐであらう」(随筆「俳句と天文」)。すなわち、歳時記の分類法は科学的にはすこぶる曖昧なのだ。最近、歳時記の季節的分類の矛盾(たとえば「西瓜」や「南瓜」を秋季とするような)を修正する動きが出て来たが、もう一歩進めて、こちらの分類法も考えなおしてほしいものだ。せっかくの分類も、分りにくくては話にならない。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 2782005

 ちらつく死さへぎる秋の山河かな

                           福田甲子雄

年の四月に亡くなった作者が、昨秋の入院時に詠んだ句である。こういう句は、観念では作れない。胃のほとんどを切除するという大手術であったようだ。「切除する一キロの胃や秋夜更く」。掲句の「ちらつく死」はもとより観念ではあるけれど、そういうときだったので、より物質的な観念とでも言おうか、まったき実感としておのれを苛んだそれだろう。そうした実感,恐怖感を「秋の山河」が「さへぎる」と言うのである。このとき「さへぎる」とは、ちらつく死への思いを消し去るということではなく,文字通りに立ちふさがるという意味だろう。悠久の山河を目の前にしていると,束の間自分が死んでしまうことなどあり得ないような気がしてくる。昨日がそうであったように、今日もそしてまた明日も、自分の生命も山河のようにつづいていくかと思われるのだ。だが、山河は悠久にして非情なのだ。そんな一瞬の希望を、簡単にさえぎって跳ね返してくる。すなわち、山河を見やれば見やるほど,ちらつく死の思いはなおさらに増幅されてくるということだろう。怖い句だ。いずれ私にも,実感としてこう感じる時期が訪れるのだろうが、そのときに私は耐えられるだろうか。果たして,正気でいられるかどうか、まったく自信がない。そう考えると、あらためて作者の精神的な強さに驚かされるのである。合掌。遺句集『師の掌』(2005)所収。(清水哲男)


August 2682005

 母許や文武百官ひきつれて

                           鈴木純一

季句。「母許」は「ははがり」と読む。「許(がり)」は「(カアリ(処在)の約カリの連濁。一説に、リは方向の意) 人を表す名詞や代名詞に付いて、または助詞『の』を介して、その人のいる所へ、の意を表す。万葉集14『妹―やりて』。栄華物語浦々別『夜ばかりこそ女君の―おはすれ、ただ宮にのみおはす』[広辞苑第五版]。掲句は要するに、権力の座にすわった男が,文武百官をひきつれて母親の許(もと)にご機嫌伺いに戻ったというのであるが、なんとなく現今の二世議員を想像させられて可笑しい。「私はこんなに出世しましたよ、お母さん」というわけだ。でも、微笑ましいと思ってはいけないだろう。なにしろ文武百官をひきつれての里帰りだから,当然この間の政治的空白は免れないからだ。父の選挙地盤を受け継ぎ,その父を実質的に仕切っていた母に頭の上がらぬ男の幼児性は、私たちが知っている権力者の誰かにも当てはまりそうで、冷や冷やさせられる。そしてまた、この文武百官たる連中がことごとくイエスマンであることも困りもの。中国の「鹿をさして馬と為す」の故事を持ち出すまでもなく、意見の相違する者を排除してゆく姿勢は、案外と子供っぽい人間性に存するというのが私の見方だ。「鹿」を「馬」だと言い張った権力者・趙高と、嘘と知りつつそれに従った百官たちもろとも、始皇帝亡き後の秦があっという間に滅んでしまったのはご承知の通りである。『平成物語 オノゴロ』(2005・豈叢書2)所収。(清水哲男)




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