我が選挙区は無風状態。隣りの東京18区は菅直人のお膝元、昨日小泉が朝から吠えてた。




2005ソスN8ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 3182005

 本ばかり読んでゐる子の夏畢る

                           安住 敦

語は「夏畢る(夏終る)」、「夏の果」に分類。既に二学期がはじまっている学校もあるが、多くの学校では今日までが夏休みだ。この間、ほとんど本ばかり読んで過ごした子の「夏」も、いよいよ今日でおしまいだなあと言うのである。親心とは切ないもので、いつも表で遊び回っている子もそれはそれで心配だけれど,本を読んでいるとはいえ、家に閉じこもってばかりいる子の不活発さも気になってしまう。明日からは新学期。作者はこれで、少しは活発に動いてくれるだろうと、ほっとしているのだ。なお「終る」ではなく、わざわざ「畢る」という難しい文字を使ったのは、書物の終りを示す「畢(ひつ)」にかけて「もう本は終りだよ」と洒落たのだろう。「畢」は漢語で「狩猟に用いる柄つきのあみにかたどった象形文字で、もれなくおさえてとりこむ意を表す」[広辞苑第五版]。ひるがえって、私が子供だった頃はどうだったろうか。どちらかと言えば性格的には不活発だったと思うけれど、しかし閉じこもって読むべき本がなかった。唯一の楽しみは母方の実家から送ってもらっていた新刊の「少年クラブ」であり、それを読んでしまうと何も読むものがなかった。仕方がないから炎天下、手製の釣り竿と餌のミミズを入れた缶カラとをぶら下げて、あまり意欲の無い魚釣りをよくやったものだ。退屈だった。早く新学期にならないかと、夏休みのはじまった頃から思いつづけてたっけ。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 3082005

 秋澄むやステップ高き検診車

                           吉村玲子

検診車
語は「秋澄む」。秋の大気が澄み切った様子を言う。最近は検診車に乗ったことがないが、昔はたしかに一般のバスに比べて。少し「ステップ」が高かったような記憶がある(写真参照、1960年代に北海道で使われていた車両だそうです)。自動車のメカの知識は皆無だけれど、いろいろな精密機器を積む関係で、エンジンの種類や設置する場所などが制限され,どうしても車体を高くする必要があったのではなかろうか。会社をやめてから何度か、居住する自治体の検診車でレントゲン撮影などを受けた。検診を受ける気持ちには微妙なものがあって、若い間は健康に自信があったので気楽に積極的に受診できたのだが、五十代に入るころからいささか躊躇するといおうか、できれば避けたいような気持ちが強くなっていった。結果の通知をおそるおそる開くときの、あの、いやアな感じ……。まあ、そんな自分のことはともかく、このときの掲句の作者はすこぶる元気だったのだろう。元気でないと,いくら大気が澄んでいようとも、気持ちよく「秋澄む」と詠み出す気にはなれないはずだからだ。だからステップの高さまでが、むしろ心地よいのである。「よっこらしょ」としんどそうに乗るのではなく、高さに戸惑ったのは一瞬で、すぐに軽やかに乗り込んだのだと思う。「秋澄む」の爽やかな雰囲気を自然の景物ではなく、ちょっと意外な「検診車」を使って出したところがユニークで面白い。『冬の城』(2005)所収。(清水哲男)


August 2982005

 石段に初恋はまだ赤のまま

                           つぶやく堂やんま

語は「赤のまま」で秋、粒状の紅色の花を赤飯(赤の「飯」)になぞらえた命名だ。「犬蓼(いぬたで)」に分類。今年も「石段」の周辺に、「赤のまま」が咲く季節になった。神社か寺院かに通じている道だろう。昔ながらに風に揺れている「赤のまま」を見ていると,往時の初恋の思い出が懐かしくも鮮明によみがえってくる。その鮮明さを表現するのに、「赤のまま」の「まま」を「飯」ではなく、「儘」と洒落たわけだ。恋ゆえに、赤い記憶が冴えてくる。初恋の相手が当時の「まま」に、いまにも石段を下りてきそうではないか。むろん相手のこともそうだけれど、純情だったころの自分のことをもまた、作者はいとおしく思い出しているのである。言葉遊びが仕掛けられているが,無理の無い運びが素敵だ。私の「赤のまま」の記憶は,次の歌に込められている。「♪小鳥さえずる森陰過ぎて、丘にのぼれば見える海、晴れた潮路にけむり一筋、今日もゆくゆくアメリカ通いの白い船」。中学一年のときの学芸会で,憧れの最上級生がうたった歌だ。おそらくそのころの流行歌だろうと思われるが、タイトルは知らない。だが、半世紀以上経ったいまでもこのように歌詞を覚えているし,節をつけてちゃんと最後まで歌える。丘にのぼったって海など見えっこない山奥の村には、どこまでも「赤のまま」の道がつづいているばかりなのであった。『つぶやっ句 龍釣りに』(2005・私家版)所収。(清水哲男)




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