September 022005
露深し今一重つゝむ握り飯
盧 文
季語は「露」で秋。江戸元禄期の無名の人の俳句を集めた柴田宵曲『古句を観る』(岩波文庫)に載っている句。「旅行」という前書がある。朝の早立ちだ。腰につけていく昼食用の「握り飯」をつつんでいるのだが、表をうかがうと、今朝はことのほか「露」が深く降りている。この露のなかを分けて歩いたら、相当に濡れそうだ。いつものつつみでは沁み通りそうなので,用心のために,いま「一重」余計につつんだと言うのである。私の子供の頃でもそうだったように,竹の皮を使ったのだろう。「露の深さ,草の深さに行きなずむというようなことは、句中にしばしば見る趣であるが、ただ裾をかかげたり、衣袂(たもと)を濡したりする普通の叙写と違って,握飯を今一重裹(つつ)むというのは、如何にも実感に富んでいる。昔の旅行の一断面は、この握飯によって十分に想像することが出来る」(宵曲)。たしかに、往時の旅行は大変だった。岡本綺堂の本を読んでいたら、昔の人はみんな旅が嫌いだったとはっきり書いてあった。そりゃそうだろう。どこに出かけるのも、基本的には徒歩なのだし、知らない土地の情報も薄いから、心細いこと限り無し。落語に出てくるような寺社詣でにことよせた物見遊山ならばまだしも、長旅には必ず水盃がつきものだったというのもうなずける。旅行が趣味という人が増えてきたのは,つい最近のことなのだ。隔世の感ありとは、このことだろう。(清水哲男)
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