自民優勢の世論調査。支持者の根拠は何だろう。増税、年金不安,海外派兵。マサカね。




2005N95句(前日までの二句を含む)

September 0592005

 桔梗の二夫にまみえて濃紫

                           阿部宗一郎

語は「桔梗(ききょう、きちこう)」で秋。秋の七草の一つではあるが,実際には六月頃から咲きはじめる。昔は朝顔のことだったという説もあるので、秋の花の定説が生まれたのだろうか。ところで、掲句がすらりとわかった読者は、かなり植物に詳しい人である。わからなかった私は、百科事典などをひっくりかえして、ようやく納得。「二夫(にふ)」は二人の夫の意味で、儒教に「貞女二夫にまみえず」の教えがある。たとえ未亡人の身になっても再婚しないのが女の鑑(かがみ)というわけだが、「桔梗」の場合はそうはいかないのである。そんなことをしていたら、子孫が絶えてしまうからだ。少し説明しておくと,桔梗の雄しべは開花後にすぐ成長して花粉を放出する。雌しべは、その後でゆっくりと成長していく。つまり同一の花の雄しべと雌しべの交配を避ける(自家授粉しないための)仕組みであり、雌しべは常に他の花の雄しべの花粉で受精することになる。「雄ずい先熟」と言うのだそうだが、すなわち桔梗の雌しべは「二夫にまみえて」はじめて子孫を残すことができるというわけだ。桔梗というと、私などには清楚で凛とした花に見える。が、こうした生態を知っている作者には、その「濃紫」がどこかわけありで艶っぽく感じられると言うのだろう。今度実物に出会ったら、じっくりと眺めてみたい。『現代俳句歳時記』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


September 0492005

 鰯雲記憶は母にはじまれり

                           伊藤通明

語は「鰯雲(いわしぐも)」で秋。郷愁に誘われる雲だ。郷愁の行き着く先は幼少期だが、突き詰めていけば最初の記憶にまでさかのぼる。夢か現か、ぼんやりとしてはいるけれど、作者の記憶は「母」にはじまっていると言うのだ。どんな顔や姿で記憶された母の姿なのだろう。ミルクの匂いでもしてきそうな句だ。こういう句は、読者を誘惑する。「あなたの場合はどうですか」と、誘ってくる。私の最初の記憶は、何だったろうか。三島由紀夫は産湯のときから覚えていると書いたが、そんなにさかのぼれはしない。懸命に思い出してみるが、あれは何歳のときだったのか。たぶん、病気で寝かされていたのだろう。目覚めると夕暮れ近くで,表を通る豆腐屋のラッパの音が聞こえていた。部屋には誰もいなかったことや、その部屋が家の中のどの部屋だったかは思い出せる。そのときに「こうして寝ているのも気持ちがいいなあ」と思ったこともはっきりと……。四歳か五歳くらいだったのではあるまいか。ただし、記憶という奴はくせ者だから、これが最初の記憶だという保証はどこにもない。最初の記憶だとしても、豆腐屋のラッパがそのときのものだったのか、あるいは同じような状況が何度かあって、その都度の印象が複合されたものかもしれないのだからだ。つまり、記憶は太るものでもあれば、逆に痩せるものでもある。では、あなたの最初の記憶の場合は如何でしょうか。『西国』(1989)所収。(清水哲男)


September 0392005

 薔薇の酒薔薇の風呂もて持て成さる

                           高橋とも子

語は「薔薇」で夏。そのまんまの句なのだろうが、素材が尋常ではない。「薔薇の酒」「薔薇の風呂」とは、いったい何であろうか。知らないのは私だけかもしれないけれど、少年時代に、西欧の女優は牛乳風呂に入るのだそうなと聞いたときのような感じを受けた。その後しばらくして、マルティーヌ・キャロルの主演映画『浮気なカロリーヌ』を見たときに、ようやく納得した覚えがある。この映画、ストーリーとは関係なく、やたらに入浴シーンがあった。バスタブに湛えられた真っ白な液体の説明はなかったけれど、ひとり「ああ、これだな」と私は合点したものである。シャボンの泡だけでは、あの白さは出ないはずだ。そんな連想もあって,まず「薔薇の風呂」のおおよその見当はつき、念のためにとネットで検索してみたら、出てくるわ出てくるわ、知らなかったのはやはり私だけだったようだ。要するに、薔薇の花びらを浮かべた風呂であり、香りが良いらしい。ただ、野暮天としては,入った後の片付けが大変だろうなと、まずは思ってしまった次第だ。次なる「薔薇の酒」だが、どうやらこちらは知らなくても恥ではないようだ。見かけはワインだが、中味は日本酒という珍品だからだ。島根県の酒造会社が昨年,薔薇の花びらを日本酒に漬け込んで薔薇色を出すことに成功し,実験的に売り出したところ大いに売れたということだった。いずれにしても、薔薇づくしの「持て成し」とは豪勢な。そのまんまながら、むしろそのまんまに、句にとどめておきたかった作者の気持ちがわかるような気がする。俳誌「百鳥」(2005年9月号)所載。(清水哲男)




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