民営化後350兆円の郵政マネーが金融市場にどっと出てくる。手ぐすね引く資本家ども。




2005ソスN9ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1392005

 なつめの実青空のまま忘れらる

                           友岡子郷

語は「なつめ(棗)の実」で秋。他の植物よりも遅く、夏に芽が出てくるという意味での命名のようだ。「棗」は中国名で、万葉集にも「棗」と出てくる歌が二首あることから、渡来は相当に古いことがわかる。うちの一首は「梨(なし)、棗(なつめ)、黍(きみ)に粟(あは)つぎ、延(は)ふ葛(くず)の、後(のち)も逢はむと、葵(あふひ)花咲く」と、トリッキーではあるが、なかなかに熱烈な恋の歌だ。秋になると、黄褐色ないしは暗赤褐色の実をつける。薬用にもなるので、中国では珍重されるというが、日本ではそれほどでもないままで来たのではあるまいか。私の田舎にも普通にあったけれど、あまり美味いものじゃなかった。気まぐれにときどき口にしはしたが,パサパサして口当たりがよくなかったという記憶が強い。そんなふうだから、みんなから掲句のように「忘れられ」ていてもやむを得ないところがある。天高き好天の昼間、「青空」の下でつぶらに輝いている「なつめ」なのだが、その状態の「まま」に誰からも気に留められることがない。バックが青空だけに,余計にひとりぼっちと写る。そんな孤独な姿が、一読あざやかに脳裏に焼きつけられる句だ。「青空のまま」という措辞が、まことによく効いているのである。こういう句に出会うと,さすがに「プロ」だなあと感心させられてしまう。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 1292005

 父の箸母の箸芋の煮ころがし

                           川崎展宏

語は「芋(いも)」で秋。俳句で「芋」といえば「里芋」のことだ。里芋の渡来は稲よりも古いとする説もあるそうで、大昔には主食としていた地方(九州や四国の山間部)もあることから、もっとも一般的に知られたイモだったからだろう。したがって、今はそうでもなくなってきたが、里芋の料理、とくに「煮ころがし」は、私の子供時代くらいまではごく日常的な家庭料理であった。いわゆる「おふくろの味」というヤツだ。作者の食卓にもいま、そんな煮ころがしが乗っている。久しぶりだったのだろう。懐かしいな、どれどれと箸をつけたときに、自然に思い出されたのが幼い日の「父の箸母の箸」であった。太くて長くて黒っぽい父の箸と細くて短くて朱っぽい母の箸と,そして芋の煮ころがしが卓袱台(ちゃぶだい)に乗っていた光景。これらの取り合わせは何の変哲もないがゆえに、逆に往時への郷愁をかきたてられるのだ。父も若く、母も若かった。あの頃は,こうした暮らしがなんとなくいつまでも続くように思っていたけれど、振り返ってみれば、わずかな期間でしかなかった。誰にも、容赦なく時は過ぎ行くのである……。と、それこそ芋の煮ころがしのように、ただ三つの名詞を転がしただけの句であるが、とても良い味を出している。『葛の葉』(1973)所収。(清水哲男)


September 1192005

 砂に陽のしみ入る音ぞ曼珠沙華

                           佐藤鬼房

語は「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」で秋。植物名は「彼岸花」だ。墓場に多いので「死人花(しびとばな)」とも。掲句を読んで、高校時代のことを思い出した。バス停から自宅までの近道に、ちょっとした墓地があって、明るいうちはそこを通り抜けて帰宅した。墓地には曼珠沙華が点々と咲いており、当時は土葬だったので、地下の死人の血を吸い上げたような赤い色が不気味に思えたものだ。後に読むことになる北原白秋の「曼珠沙華」の出だしは、次のようである。「ごんしゃん ごんしゃん どこへゆく/赤いお墓の ひがんばな/きょうも手折(たお)りに 来たわいな//ごんしゃん ごんしゃん 何本(なんぼん)か/地には七本(しちほん) 血のように/ちょうど あの児(こ)の 年(とし)のかず」。よく晴れた日の午後の、人っこ一人いない墓地の静寂……。掲句の作者は、それを逆に「砂に陽のしみ入る音」と表現している。すなわち、無音の音がしていると言うのだ。いま思えば、私の通っていた墓地でも、たしかに無音の音がしていたような気がする。それも墓の下に眠る死者たちへ、天上の「陽」がじわりじわりとしみ入る「音」(のようだ)と聞いたところに、作者の無常観があらわれている。私たちが墓場に佇むときの一種名状し難い心持ちが、視覚的に、そして聴覚的にも的確に表現されている見事な作だ。『半迦坐』(1988)所収。(清水哲男)




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