バラエティしか見ない若者に政治は難しすぎる。ついでにプロ野球もね。だからだね…。




2005ソスN9ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1492005

 うつくしや鰯の肌の濃さ淡さ

                           小島政二郎

語は「鰯(いわし)」で秋。「鰯」は国字(日本で作った漢字、「凩」や「峠」などの類)で、漁獲するとすぐにいたんでくる「弱さ」からの作字だという。掲句を採り上げたのは、他でもない。このように鰯をしみじみと見つめた句は、とても珍しいからだ。鯛(たい)のような高級魚ならばともかく、捨てるほど穫れた鰯に見惚れて「うつくしや」などと言うのは、よほど特異な審美眼からの発想である。作者は『人妻鏡』などの大衆小説や『眼中の人』『円朝』などを書いた達者な小説家で、『くひしんぼう』という随筆集のある美食家でもあった。美食家はまず目で楽しむというから、その意味では本領を発揮した句と言えるかもしれない。鯛も鰯も、目で楽しむ分にはイーブンなのだぞ、と。ところが近年、どういう加減からか、鰯がだんだん穫れなくなってきた。二年前だったか、市場で鯛よりも高値がつくという珍事まで起きている。こうなるともはや立派な高級魚で、気がついてみたら、飲み屋などで気楽に注文できる魚ではない。中央水産研究所の今年度の漁獲予想によっても、やはりかんばしくなさそうだ。となると、これからは私のような「特異な審美眼」を持たない者でも、句の作者のように鰯をしみじみと見つめる時代になりそうだ。べつに政治が悪いわけじゃないけれど、なんだかなあ、へんてこりんな気分になってくる。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 1392005

 なつめの実青空のまま忘れらる

                           友岡子郷

語は「なつめ(棗)の実」で秋。他の植物よりも遅く、夏に芽が出てくるという意味での命名のようだ。「棗」は中国名で、万葉集にも「棗」と出てくる歌が二首あることから、渡来は相当に古いことがわかる。うちの一首は「梨(なし)、棗(なつめ)、黍(きみ)に粟(あは)つぎ、延(は)ふ葛(くず)の、後(のち)も逢はむと、葵(あふひ)花咲く」と、トリッキーではあるが、なかなかに熱烈な恋の歌だ。秋になると、黄褐色ないしは暗赤褐色の実をつける。薬用にもなるので、中国では珍重されるというが、日本ではそれほどでもないままで来たのではあるまいか。私の田舎にも普通にあったけれど、あまり美味いものじゃなかった。気まぐれにときどき口にしはしたが,パサパサして口当たりがよくなかったという記憶が強い。そんなふうだから、みんなから掲句のように「忘れられ」ていてもやむを得ないところがある。天高き好天の昼間、「青空」の下でつぶらに輝いている「なつめ」なのだが、その状態の「まま」に誰からも気に留められることがない。バックが青空だけに,余計にひとりぼっちと写る。そんな孤独な姿が、一読あざやかに脳裏に焼きつけられる句だ。「青空のまま」という措辞が、まことによく効いているのである。こういう句に出会うと,さすがに「プロ」だなあと感心させられてしまう。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 1292005

 父の箸母の箸芋の煮ころがし

                           川崎展宏

語は「芋(いも)」で秋。俳句で「芋」といえば「里芋」のことだ。里芋の渡来は稲よりも古いとする説もあるそうで、大昔には主食としていた地方(九州や四国の山間部)もあることから、もっとも一般的に知られたイモだったからだろう。したがって、今はそうでもなくなってきたが、里芋の料理、とくに「煮ころがし」は、私の子供時代くらいまではごく日常的な家庭料理であった。いわゆる「おふくろの味」というヤツだ。作者の食卓にもいま、そんな煮ころがしが乗っている。久しぶりだったのだろう。懐かしいな、どれどれと箸をつけたときに、自然に思い出されたのが幼い日の「父の箸母の箸」であった。太くて長くて黒っぽい父の箸と細くて短くて朱っぽい母の箸と,そして芋の煮ころがしが卓袱台(ちゃぶだい)に乗っていた光景。これらの取り合わせは何の変哲もないがゆえに、逆に往時への郷愁をかきたてられるのだ。父も若く、母も若かった。あの頃は,こうした暮らしがなんとなくいつまでも続くように思っていたけれど、振り返ってみれば、わずかな期間でしかなかった。誰にも、容赦なく時は過ぎ行くのである……。と、それこそ芋の煮ころがしのように、ただ三つの名詞を転がしただけの句であるが、とても良い味を出している。『葛の葉』(1973)所収。(清水哲男)




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