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September 3092005

 物の音散りあつまりて十月へ

                           黒川路子

語は「十月」で秋。早いもので、今日で今年も四分の三が過ぎることになる。明日からは、秋も一段と深まりゆく十月だ。そんな気持ちのなかで掲句を読むと、特に何が書いてあるわけでもないけれど、しみじみと胸に沁み入ってくるものがある。書かれているのは、単に「物の音」の状態だけだ。何の音かは、特定されていない。この季節のいろいろな音、聞こえてくるもろもろの雑多な音である。九月は秋といっても、まだまだ暑さの厳しい日があって夏を引きずっており、注意力や集中力も散漫になりがちだから、聞こえてくる音も雑多なままに、いわば「散」っている感じだ。ところが、だんだん朝夕から涼しくなりはじめると、心の統合力も高まってくる。雑多に散るがままに聞き捨ててきた「物の音」が、ひとつひとつはっきりと認識できるようになり、とりわけて風や雨などの自然の音は明らかに一つの方向へと「あつま」りはじめるように聞こえてくる。一つの方向とは、むろん涼しくて爽やかな季節へのそれだ。九月も終りの頃は、そろそろそれらの音が「散りあつまり」しながら聞こえる季節を過ぎて、透明に「あつまる」感じが濃くなってくる。そうなると、いよいよ十月だ。抽象的な句ながら、本格的な秋の訪れへの期待感が、逆に具体的身体的に感じられるところは心憎いほどの巧さだ。さあ、「十月へ」。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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