朝日が美しい。山鳩が鳴いている。この爽やかな時間に何もしないでいる束の間の至福。




2005ソスN10ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 02102005

 つかれはてて肉声こぼるや酒光る

                           成田三樹夫

季句。雑誌「en-taxi」(2005年11月号)が、「『七〇年代東映』蹂躙の光学」という特集を組んでいる。シリーズ「仁義なき戦い」などで人気を博した時代の東映回顧特集だ。そんな東映実録物路線のなかで、敵役悪役としてなくてはならぬ存在が、句の作者・成田三樹夫であった。クールなマスク、ニヒルな演技にファンも多かった俳優である。惜しくも五十五歳の若さで亡くなってしまったが、没後に句集が出ていることを、同誌で石井英夫が紹介していた。なかに掲句があるそうだが、作者が俳優とわかると、やけに心に沁みてくる。やっと仕事が終わってホッとした酒の席で、「つかれはてて」いたために、思わずも「肉声」をこぼしてしまったと言うのだ。このときに肉声とは、作者の地声でもあり本音のことでもあるだろう。俳優とという職業柄、人前ではめったに地声を出すことはないし、ましてや本音を洩らすこともない。それが、ぽろりと出てしまったのだ。肉体的にも精神的にも弱り切った様子が、これも少しはこぼしてしまったのであろう「光る酒」に刺し貫かれるようにして露出している。石井の文章には作者へのインタビューも紹介されていて、こうある。「ゴルフもやらなきゃマージャンもできない。およそ役者のやるような趣味は何もできません」。ストレス過剰も当然だったと言うべきか。次の句にも、常に張りつめていた人の気持ちがよく現われている。「一瞬大空のすき間あり今走れ」。遺稿句集『鯨の目』(1991・無明舎出版)所収。(清水哲男)


October 01102005

 出会ひの握力別れの握力秋始まる

                           今井 聖

の「秋始まる」は、暦の上の「立秋」ではなく、実質的な秋の到来を指しているのだと思う。したがって、「秋」に分類しておく。「出会ひ」と「別れ」の具体的な状況はわからないが、そのいずれの場合にも、かわす握手には自然に力がこもると言うのである。秋のひきしまった大気は、おのずからひきしまった行為につながってゆく。本格的な秋の訪れの感慨を、「握力」を通じて描き出した視点は新鮮だ。作者に、実感を伴った体験があるからだろう。絵空事では、こういう句は作れない。ところで放送生活二十年の私としては、鈴木志郎康さんの用語を借りれば「極私的」にも観賞したい句だ。放送局の十月は、まさに「秋始まる」月だからである。ラジオにもテレビにも番組改変期は春四月と秋十月にあり、それに伴って何人かのスタッフや出演者の入れ替えがあるのが普通だ。春の人事異動なら、世間一般に行われることなのでそうでもないが、秋のそれは放送局に特有なことゆえに、とくに「別れ」には寂しさがつきまとう。歓送会での握手にも、それこそ自然に力がこもるのである。在任中に、そんな握手をかわして何人の仲間を見送ってきたことだろう。なかには会社から理不尽な異動理由を突きつけられて、会社そのものから去っていった人もいる。みんな元気にしているだろうか。掲句を読んで、ふっと感傷的になった次第である。俳誌「街」(55号・2005年10月)所載。(清水哲男)


September 3092005

 物の音散りあつまりて十月へ

                           黒川路子

語は「十月」で秋。早いもので、今日で今年も四分の三が過ぎることになる。明日からは、秋も一段と深まりゆく十月だ。そんな気持ちのなかで掲句を読むと、特に何が書いてあるわけでもないけれど、しみじみと胸に沁み入ってくるものがある。書かれているのは、単に「物の音」の状態だけだ。何の音かは、特定されていない。この季節のいろいろな音、聞こえてくるもろもろの雑多な音である。九月は秋といっても、まだまだ暑さの厳しい日があって夏を引きずっており、注意力や集中力も散漫になりがちだから、聞こえてくる音も雑多なままに、いわば「散」っている感じだ。ところが、だんだん朝夕から涼しくなりはじめると、心の統合力も高まってくる。雑多に散るがままに聞き捨ててきた「物の音」が、ひとつひとつはっきりと認識できるようになり、とりわけて風や雨などの自然の音は明らかに一つの方向へと「あつま」りはじめるように聞こえてくる。一つの方向とは、むろん涼しくて爽やかな季節へのそれだ。九月も終りの頃は、そろそろそれらの音が「散りあつまり」しながら聞こえる季節を過ぎて、透明に「あつまる」感じが濃くなってくる。そうなると、いよいよ十月だ。抽象的な句ながら、本格的な秋の訪れへの期待感が、逆に具体的身体的に感じられるところは心憎いほどの巧さだ。さあ、「十月へ」。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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