秋の盛りとはいえ、十月は天候不順の月である。東京五輪の開幕前日も激しい雨だった。




2005ソスN10ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 05102005

 お二階にヨガしてをられ花芒

                           梶川みのり

語は「花芒(はなすすき)」で秋、「芒」に分類。隣家か向かいの家だろう。秋晴れの上天気に、大きく「二階」の窓が開け放たれている。ちらりと視線をやると、生けられた「花芒」が見え、いつものように「ヨガ」に集中している人の姿も見えたのだった。この景に象徴されるように、その人の生活にはいつも余裕のある潤いが感じられ、人生を楽しむ達人のような感じすら受けている。「この命なにをあくせく」の身からすれば、羨ましくもあり尊敬の念がわいてくる存在だ。俳句で「お二階」などと「お」をつけることは稀であるが、この句の場合には「お」が効いている。その人への敬愛の念が、素直に丁寧や尊敬の接頭語である「お」をつけさせたというべきで、単なる「お菓子」や「お茶碗」の「お」とはニュアンスが異なっている。あえて言えば、丁寧語である「お菓子」の「お」と、尊敬語である「お手紙」などの「お」が重なりあっているのだ。つまり、その人あっての「二階」が「お二階」というわけである。したがって、掲句の「お」には上品ぶった嫌みはない。ところで世の中には、まさに上品ぶって、何でもかでも「お」をつけたがる人がいる。味噌汁のことを「おみおつけ」とも言うけれど、あれは元来は「つけ」だったのに、「お」「み」「お」と三つもの接頭語が上品に上品にと積み上げられた果ての言葉であることはよく知られている。しかしまあ「おみおつけ」までは許すとしても、許せないのは外来語にまで「お」をつける人である。「おビール」なんて言われると、ぞっとする。『転校生』(2004)所収。(清水哲男)


October 04102005

 風化せし初恋ながら龍の玉

                           小島可寿

語は「龍の玉(りゅうのたま)」で秋。まだ本物の宝石など見たこともなかった子供のころ、この小さな瑠璃色の玉を見て「なんだか宝石みたいだな」と思った記憶がある。実が固くてよく弾むので、地面にバウンドさせて遊んだりもしたが、それよりも日陰にひんやりと忘れられたようにある状態を眺めるのが好きだった。子供のときから、センチメンタルな気質だったということか。最近、あまり見かけなくなったのが寂しい。掲句は、そんな私の印象によく通じていて忘れ難い。遠い日の「初恋」は既に「風化」しており、もはや相手の面影すらもが鮮明とは言えなくなってきた。ただつれづれに、そのころのことを思い出すことがあると、心の状態だけは昔そのままによみがえってくる。いまでも、胸がきゅんとなる。それはさながら、細長い葉むらの奥にひっそりと実を結ぶ「龍の玉」のようにあくまでも静かではあるが、あくまでも色鮮やかなのだ。「風化」とは言っても、心情的には限りなく「昇華」に近いそれだろう。「龍の玉」の特性をよく生かした抒情句である。青柳志解樹編『俳句の花・下巻』(1987)所載。(清水哲男)


October 03102005

 鰯雲「馬鹿」も畑の餉に居たり

                           飯田龍太

語は「鰯雲」で秋。よく晴れた昼時の「畑」で、一仕事を終えた家族が昼食をとっている。通りがかった作者が見るともなく見やると、その昼「餉」の輪のなかに「馬鹿」もいて、一人前に何か食べていた。「馬鹿」と括弧がつけられているのは、作者が一方的主観的に馬鹿と思っているのではなく、「馬鹿」と言えば近在で知らぬ者はない通称のようなものだからだろう。知恵おくれの人なのかもしれないが、大人なのか子供なのかも句からは判然としない。いずれにしても畑仕事などできない人で、家に残しておくのも心配だから連れてきているのだ。その人が「餉」のときだけはみんなと同じように一丁前に振る舞っているところに、作者は一種の哀しみを感じている。空にはきれいな「鰯雲」が筋を引き、地には収穫物が広がっていて、同じ天地の間に同じ人間として生まれながら、しかし人間の条件の違いとは何と非情なものなのか。掲句の哀感を押し進めていけば、こういう心持ちに行き着くはずだ。が、それをあえて深刻にしすぎないようにと、作者はスケッチ段階で句を止めている。だから逆に、それだけ読者の心の中で尾を引く句だとも言えるだろう。ところで「馬鹿」ではないけれど、かつて深沢七郎が田舎に引っ込んだときには、近所の人から「作文の先生」と呼ばれていた。昔の田舎では、あまり戸籍上の苗字で人を呼んだりはしなかったものだ。掲句の作者にも、きっと往時には通称があったに違いない。どんな呼ばれ方だったのか、ちょっと興味がある。『定本・百戸の谿』(1976)所収。(清水哲男)




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