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October 08102005

 通帳にらんで女動かぬ道の端

                           きむらけんじ

季句。この「女」のひとにはまことに失礼ながら、思わず吹き出しそうになってしまった。たったいましがた、銀行で記入してきたばかりの「通帳」なのだろう。記入したときにちらりと目を走らせた数字があまりに気になって、家まで見ないでおくことに我慢ができず、ついに「道の端」で開いてしまった。むろん、残高は予想外の少なさである。どうして、こんなに少ないのか。何度も明細を確かめるべく、彼女は身じろぎもしない。不動のまま「にらんで」いる。世の中には、本人が真剣であればあるほど、他者には可笑しく思われることがある。これも、その一つだ。道端で通帳をにらむという、そうザラにはない図を見逃さなかった作者のセンスが良く生きている。掲句はたまたま五七五の定型に近いが、作者は自由律俳句の人だ。第一回「尾崎放哉賞」受賞。「煙突は立つほかなくて台風が来ている」「職の無い日をスタスタ歩く」「妻よ南瓜はこの世に必要なのか」など。いずれも、ユーモアとペーソスの味が効いている。ところで「自由律俳句」についてだが、放哉や山頭火などの流れのなかの句は、たしかに伝統的な定型句とは異なる「律」で詠まれてはいる。けれども、こうした自由律にはまたそこに確固とした独自の定型的な「律」があるのであって、これを「自由な律」と称するのは如何なものかと思う。何か他に、適当な呼称を発明する必要がありそうだ。『鳩を蹴る』(2005)所収。(清水哲男)


November 24112014

 国会中継延々葱買いに行かねば

                           きむらけんじ

会中継はよく見るほうだと思う。だが最近は、たとえば往年の共産党・正森成二のような舌鋒鋭い突っ込みの名人がいないので、あまり面白くない。句の「延々」は、そのことを言っている。かといって気になるやりとりも少しは出てくるので、スイッチを切るに切れないというところか。葱を買いに行かねばならぬという目前の用事のことがちらちら頭をかすめるが、なかなか席を立てないもどかしさ。天下の大事と日常生活の小事とが、同じくらいの重さで行き交う面白さ。しかし、議員センセイなどには到底わからぬであろうこの種の庶民感覚が、本当は政治的にも大切なはずである。国会の「延々」には、この感覚の差異がいつまでも平行してクロスしないもどかしさも、含まれているのだろう。自由律句だけれど、本サイトではいちおう冬の季語の「葱」に分類しておく。『圧倒的自由律 地平線まで三日半』(2014)所収。(清水哲男)




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