October 222005
流れ星ヨットパーカーあふられて
対中いずみ
季語は「流れ星(流星)」で秋。「ヨットパーカー」を着ているからといって、ヨットに乗っているとは限らない。四季を問わぬスポーツウェアだ。ましてや句は夜の状景だから、作者は陸上にいる。セーリングの後かもしれないし、ランニングなど他の運動の後かもしれない。とにかく心地よい汗を流した後なので、心は充足している。パーカーが「あふられ」るほどに風は強いのだけれど、むしろその風を心地よく感じているのだろう。フードや裾がパタパタ鳴っている。澄んだ夜空を見上げる目に、折りしもすうっと流れていった星ひとつ。句は「流れ星」を点景として、強い風のなかに立っている自分をクローズアップしているのだ。すなわち、自己愛に満ちた青春謳歌と読んでおきたい。古来、多く「流星」の句は、星に重点を置きクローズアップしてきたが、このように星をいわば小道具に用いた例は珍しいののではなかろうか。なお、掲句は本年度の「第20回俳句研究賞」受賞作五十句のうち。他に「ふたりしてかたき杏を齧りけり」「手から手へうつして螢童子かな」「寒施行きのふの雨を踏みながら」などがある。素直で難のない詠みぶりが評価された。作者の苗字は「たいなか」と読む。「俳句研究」(2005年11月号)所載。(清水哲男)
October 082007
流星やいのちはいのち生みつづけ
矢島渚男
季語は「流星(りゅうせい)」で秋。流れ星のこと。流星は宇宙の塵だ。それが何十年何百年、それ以上もの長い間、暗い宇宙を漂ってきて地球の大気圏に入ったときに、燃えて発光する。そして、たちまち燃え尽きてしまう。この最期に発光するという現象をとらまえて、古来から数えきれないほどの詩歌の題材になってきたわけだが、その多くは、最後の光りを感傷することでポエジーを成立させてきた。たとえば俳句では「死がちかし星をくぐりて星流る」(山口誓子)だとか「流れ星悲しと言ひし女かな」(高浜虚子)だとかと……。しかし、この句は逆だ。写生句だとするならば、作者が仰いでいる空には、次から次へと流星が現れていたのかもしれない。最期に光りを放ってあえなく消えてゆく姿よりも、すぐさま出現してくる次の星屑のほうに心が向いている。流星という天体現象は、生きとし生けるもののいわば生死のありようの可視化ともいえ、それを見て生者必滅と感じるか、あるいは生けるものの逞しさと取るのか。どちらでももとより自由ではあるが、あえて後者の立場で作句した矢島渚男の姿勢に、私などは救われる。みずからの遠くない消滅を越えて、類としての人間は「いのち」を生みつづけてゆくであろう。このときに、卑小な私に拘泥することはほとんど無意味なのではないか。そんなふうに、私には感じられた。うっかりすると見逃してしまいそうな句だが、掲句はとても大きいことを言っている。『百済野』(2007)所収。(清水哲男)
April 022008
なにほどの男かおのれ蜆汁
富士眞奈美
蜆も蜆汁も春の季語である。冬の寒蜆も夏の土用蜆もあるわけだけれど、春がもっともおいしいとされる。もちろん、ここでは蜆そのものがどうのこうのというわけではない。こういう句に出会うと、大方の女性は溜飲をさげるのかもしれない。いや、男の私が読んでも決して嫌味のない句であり、きっぱりとした気持ちよささえ感じる。下五の「蜆汁」でしっかり受けとめて、上五・中七がストンとおさまり、作者のやりきれない憤懣にユーモラスな響きさえ生まれている。蜆の黒い一粒一粒の小粒できちんとしたかたち、蜆汁のあのおいしさとさりげない庶民性が、沸騰している感情をけなげに受けとめている。ここは気どったお吸い物などはふさわしくない。「なにほど」ではない蜆汁だから生きてくる。同じ春でも、ここはたとえば「若布汁」では締まらないだろう。それどころか、気持ちはさらにわらわらと千々に乱れてしまうことになるかもしれない。眞奈美は女優だが、五つの句会をこなしているほどのベテランである。掲出句は、ある人に悪く言われたことがあって、そのときはびっくりしたが、バカバカしいと考え直して作った句だという。「胸のつかえがすーっとおりて・・・・立ち直れた」と語っている。さもありなん。こんな場合、散文や詩でグダグダ書くよりは、五七五でスイと詠んでしまったほうがふっきれるだろう。そこに俳句のちからがある。吉行和子との共著『東京俳句散歩』もある。ほかに「宵闇の小伝馬町を透かしみる」「流れ星恋は瞬時の愚なりけり」などがある。いずれもオトナの句。「翡翠」14号(2008)所載。(八木忠栄)
April 152009
甕埋めむ陽炎くらき土の中
多田智満子
何ゆえに甕を土のなかに埋めるのか――と、この場合、余計な詮索をする必要はあるまい。「何ゆえに」に意味があるのではなく、甕を埋めるそのこと自体に意味があるのだ。しかし、土を掘り起こして甕をとり出すというのではなく、逆に甕を埋めるという行為、これは尋常な行為とは言いがたい。何かしら有形無形のものを秘蔵した甕であろう。あやしい胡散臭さが漂う。陽炎そのものが暗いというわけではあるまいが、もしかして陽炎が暗く感じられるかもしれないところに、どうやら胡散臭さは濃厚に感じられるとも言える。陽炎ははかなくて頼りないもの。そんな陽炎がゆらめく土を、無心に掘り起こしている人影が見えてくる。春とはいえ、土のなかは暗い。この句をくり返し眺めていると、幽鬼のような句姿が見えてくる。智満子はサン=ジョン・ペルスの詩のすぐれた訳でも知られた詩人で、短歌も作った。俳句は死に到る病床で書かれたもので、死の影と向き合う詩魂が感じられる。それは決して悲愴というよりも、持ち前の“知”によって貫かれている。157句が遺句集『風のかたみ』としてまとめられ、2003年1月の告別式の際に配られた。ほかに「身の内に死はやはらかき冬の疣」「流れ星我より我の脱け落つる」など、テンションの高い句が多い。詩集『封を切ると』付録(2004)所収。(八木忠栄)
November 022014
流星のそこからそこへ楽しきかな
永田耕衣
出会いの絶景というは第一義上の事なり。これは、耕衣主宰『琴座』三百号(昭和50年)に掲げた俳句信条「陸沈の掟」十ヶ条の一つです。先週、10月26日(日曜)午前、私は神戸市兵庫区に滞在していました。この日の増俳は耕衣の「薪在り灰在り鳥の渡るかな」でしたが、神戸に来たからには何かしら故人の足跡を辿りたいと思っておりました。また、耕衣の句集を手に入れたいとも。持参した『永田耕衣五百句』の編者金子晉氏にお電話して著作を購入したい由を申し出ると、即座に 耕衣の愛弟子岡田巌氏のご住所と電話を紹介していただき、私はタクシーに乗り「そこからそこへ」「流星の」ごとく、岡田氏の自宅書斎に案内されました。書斎正面には、耕衣揮毫の「非佛」が太くでんと飾られていて、それは、井上有一の書に通底する自由闊達な動態です。耕衣は生前書画を多く描き、その遺作の大半は姫路文学館に収蔵されていますが、耕衣が愛蔵した何点かは師の遺志で岡田氏に託されていました。なかでも、耕衣が最も気に入って自宅書斎に飾っていた「ごって牛」の書画は、岡田氏預かりとなっておりました。二時間の滞在中、ありったけの書画を出して見せて下さった中で、いちばん最初に封を切って開いてくださった「ごって牛」には、「薪在り灰在り鳥の渡るかな」が揮毫されて いました。この日の増俳の句です。耕衣の書画に囲まれて二人、不思議な午後の西日に包まれておりました。「強秋(こわあき)ですね」と岡田氏。「強秋ですね」と私。尚、神戸に来るきっかけを作ってくださったのは、10月18日の余白句会あとの酒席で、阪神甲子園球場は「楽しきかな」と語ってくださった清水哲男さんです。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)
April 242015
九官鳥同士は無口うららけし
望月 周
九官鳥は人や動物の声真似、鳴き真似が上手で音程や音色だけでなく抑揚までも真似する。この習性を利用し人は言葉を教えて飼い慣らす。日頃から色々と話しかけて根気よく付き合ってゆく。鳥と人間の相棒関係が頻繁な言葉の話し掛けによって構築されてゆく。真偽は定かでないが、飼主であった九官さんの名を発生するので九官鳥と名付けられたという。そんな九官鳥もお相手が同類の九官鳥となると無口なってしまうとか。真似事ばかりして本来の鳥語を忘れてしまったか。明るい春の陽を浴びて、のんびりと長閑であるのもいいものだ。<流灯の白蛾を連れてゆきにけり><流れ星贈らんと連れ出しにけり><一本の冬木をめがけ夜の明くる>など。『白月』(2014)所収。(藤嶋 務)
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