November 012005
寄る家のなき本籍地暮の秋
望月哲土
季語は「暮の秋」。秋も終りに近づいた季節・気候の感じを言う。作者は出張か旅行かで、たまたま「本籍地」のあたりを通りかかったのだろう。子供の頃に住んでいたところか、あるいは暮らしたことのない父方の故郷なのかもしれない。いずれにしても、もはや知る人もなく、訪ねる家もない。冷たい風が吹いていて、そぞろ寒さが身に沁みてくる。本籍地ということで、日頃はその土地の名前などに何となく親しみを覚えてはいるのだけれど、いざそこに立ってみると、見知らぬ異郷でしかないのである。ご存知のように、本籍地はどこにでも定めることができる。が、私もそうだが、自分と何らかの関わりを持つ土地に決めるのが普通だろう。私は結婚を機に、それまでの本籍地であった父の田舎から、最初に住んだ街に移した。移したのは、父の田舎のままにしておくと遠いので、戸籍謄本の取り寄せなどにひどく時間がかかったためである。以後、そういうときには歩いて数分の区役所に出向けばよく、ずいぶん便利にしていた。しかし、その後の転居の際には同じ都内でもあり、そのまま打っちゃっておいたら、やはり何かの折りには郵便でのやりとりを余儀なくされ、その度に変えようとは思うのだが、性来の無精が勝った格好で、まだそのまんまにしてある。その本籍地には、もう寄る家もないし、人の出入りが激しい都会だから、たぶん知る人も少なくなっているだろう。機会があれば立ち寄ってみたいとは思うけれど、おそらく掲句のような心情になるのがオチというものではなかろうか。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)
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