私の部屋のカレンダーは飲み屋で貰った二ヶ月めくりのもの。あと一枚とはなりにけり。




2005ソスN11ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 01112005

 寄る家のなき本籍地暮の秋

                           望月哲土

語は「暮の秋」。秋も終りに近づいた季節・気候の感じを言う。作者は出張か旅行かで、たまたま「本籍地」のあたりを通りかかったのだろう。子供の頃に住んでいたところか、あるいは暮らしたことのない父方の故郷なのかもしれない。いずれにしても、もはや知る人もなく、訪ねる家もない。冷たい風が吹いていて、そぞろ寒さが身に沁みてくる。本籍地ということで、日頃はその土地の名前などに何となく親しみを覚えてはいるのだけれど、いざそこに立ってみると、見知らぬ異郷でしかないのである。ご存知のように、本籍地はどこにでも定めることができる。が、私もそうだが、自分と何らかの関わりを持つ土地に決めるのが普通だろう。私は結婚を機に、それまでの本籍地であった父の田舎から、最初に住んだ街に移した。移したのは、父の田舎のままにしておくと遠いので、戸籍謄本の取り寄せなどにひどく時間がかかったためである。以後、そういうときには歩いて数分の区役所に出向けばよく、ずいぶん便利にしていた。しかし、その後の転居の際には同じ都内でもあり、そのまま打っちゃっておいたら、やはり何かの折りには郵便でのやりとりを余儀なくされ、その度に変えようとは思うのだが、性来の無精が勝った格好で、まだそのまんまにしてある。その本籍地には、もう寄る家もないし、人の出入りが激しい都会だから、たぶん知る人も少なくなっているだろう。機会があれば立ち寄ってみたいとは思うけれど、おそらく掲句のような心情になるのがオチというものではなかろうか。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


October 31102005

 子等に試験なき菊月のわれ愉し

                           能村登四郎

語は「菊月」で秋、「長月」に分類。陰暦九月の異称で、陽暦十月上旬から十一月初旬の候。むろん、菊の咲く時期ゆえの命名である。作者、教員時代の句だ。したがって、「子等」は自分の子供ではなく、教えている生徒たちを指している。「試験」がなければ、もちろん生徒たちは愉(たの)しい。しかしこの句を読むまでは、言われてみればなるほどと思ったけれど、教師もまた愉しいものだとは思いもしなかった。私が生徒だったころには、試験中の先生は授業をしなくてもいいので、ずいぶん楽なんだろうなあくらいの認識しかなかった。浅はかの極みではあったが、しかし生徒の先生に対する意識なんぞは、いつの時代にもだいたいがそんなものなのだろう。長じて知るのは親の恩ばかりではなく、教師の恩もまた然りというわけだ。屈託なく伸び伸びと動き回る子等を見て、作者は慈愛を含んだまなざしで微笑している。ところで、この句は昔のものだからこれでよいのであるが、現代だとちょうど「中間テスト」の時期に当たっているので、生徒も教師も「菊月」は憂鬱なシーズンと化してしまった。秋の運動会が終わると、次は試験という学校が多い。私くらいまでが、中間テストのなかった世代ではなかろうか。高校に入ったときにはじめて本格的な中間テストがあって、さすがに高校は勉強の場なんだと感心した覚えがある。それがいまや中間テストは小学生にまで及んでおり、せっかくの良い季節も濁りを帯びている。何をか言わんや、だ。『合本俳句歳時記』(1997)所載。(清水哲男)


October 30102005

 ラヂオつと消され秋風残りけり

                           星野立子

語は「秋風」。「ラヂオ」という表記の時代には、携帯ラジオはなかった。したがって、作者は庭など戸外にいるのだが、聞こえているのは家の中に置いてある「ラヂオ」からの音だ。それも耳を澄まして聴いていたわけではなく、なんとなく耳に入っていたという程度だろう。そんな程度だったが、誰かに「つと消され」てみると、残ったのは「秋風」ばかりという感じで、あたりの静けさがにわかに心に沁みたというのである。静寂を言うのに、婉曲に「秋風残りけり」と余韻を持たせたところが心憎い。いかにも、俳句になっている。この句でふっと思い出したが、昔は表を歩いていても、よくラジオの音が聞こえてきたものだった。ということは、どこの家でも大きな音で聞いていたことになる。永井荷風は隣家のラジオがうるさいと癇癪を起こしているし、太宰治「十二月八日」の主婦は、やはり隣家のラジオでかつての大戦がはじまったことを知ったことになっている。なぜ大きな音で聞いていたのだろうか。と考えてみて、一つには昨今の住宅との密閉度の差異が浮かんでくるが、それもあるだろう。が、いちばんの理由は、現在のように音質がクリアーでなかったからではあるまいか。雑音が激しかった。つまり、大きな音で鳴らさないと、たとえばアナウンサーが何を言っているのかがよく聞き取れなかったせいだと思うのだが……。学校の行き帰りに、どこからともなく聞こえてきたラジオ。懐かしや。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます