November 032005
父と子と同じ本買う文化の日
星野幸子
季語は「文化の日」で秋。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日だそうだが、その日だからといって、とりたてて何か文化的な行為をしようとも思わない。あ、世間は休みなのね。例年、そんなことをちらっと思うだけだ。句の場合もそうで、たまたま文化の日に父と子が本を買って戻ってきたのだろう。結果的には文化的行為となったわけで、作者は微笑した。しかし、二人が偶然にも同じ本を求めてきたことがわかって、今度は苦笑している。もったいないと思う気持ちと、やはり血は争えないという気持ちが、ごちゃ混ぜになった苦笑である。表面的にはそういう句であるのだが、作者の微苦笑の奥から滲み出てくるのは、もう一つ別の思いだろう。すなわち、「子」の成長を喜ぶ母心だ。この子が何歳かはわからないが、高校生くらいかな。「父」と同じ本を買うということは、大人の本を読めるほどに成長したということである。つい最近まではあり得なかったことが、ついにあり得ることになったのだ。一家に同じ本が二冊。もったいないのはもったいないのだけれど、作者には、そのもったいなさを嬉しく感じる気持ちのほうが強いのである。父子二人のたまたまの文化的行為が作者にもたらしたものは、ささやかだが、文化の日に似つかわしいプレゼントになった。子としても父としても、私には句のような体験はない。もったいないことに、自分で二冊、同じ本を買ってしまったことはあるけれど。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)
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