米デンバー市で大麻の所持が合法化。煙草の代わりに大麻を喫おうってことかな。むむ。




2005ソスN11ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 05112005

 母よりの用なき便り柿の秋

                           西山春文

語は「柿」で秋。「柿の秋」とあるが、この「秋」は季節を表すのではなく、旬の時期(収穫期)という意味だ。故郷の母親から封書が届いた。一瞬ぎくりとして、何事ならんと読んでみると、特別な用事もない便りだったので、ほっとしている。母の伝える近況や田舎の様子を読んでいるうちに、自然に懐かしくよみがえってきたのは、たわわに実をつけた柿の木のある風景だった。作者は、いわばその原風景からそこで暮らした日々のことなどを思いだして、しばし懐旧の念にふけったのだろう。これが「用ある便り」だったとしたら、そうはいくまい。「用なき便り」の効用である。最近は電話もあるので「用なき便り」も減ってきたとは思うけれど、しかし電話でよしなしごとを長時間しゃべれるのは母娘の間に限られるようで、母と息子が「用なき」長電話をする図はちょっと考えられない。何故なのかはよくわからないが、とにかく昔から男は肉親に対してあまり口をきかないものと相場が決まっているのだ。だから、句の母も「用なき便り」にしたわけである。かくいう私も例外ではなく、母から電話をもらっても三分ともたない。手紙が来てもなかなか返事を出さず、内心で「便りのないのは良い便りと言うじゃないか」とうそぶいたりしている。実にけしからん不肖の息子である。『創世記』(2003)所収。(清水哲男)


November 04112005

 花芒金井克子の無表情

                           秋 尾

語は「(花)芒」で秋。芸能人を詠み込むのは難しいと思う。当人を知らない読者にはむろんわからないし、知っていてもそれぞれに印象が異なる場合も多いからだ。が、掲句は読んだ途端に、金井克子を知らない人には申し訳ないが、私はドンピシャリだと思った。この句、実は会員制の某掲示板に、昨日の午後書き込まれたものである。したがって、作者はあまり公にしたくないのかもしれないが、しかし良いと思った句は委細構わずに紹介するというのが、当歳時記の方針です。どこが良いって、花芒のすらりとしたたたずまいを金井克子のそれに通わせ、しかも花とはいえ、花そのものには何の愛想も無いところを、彼女の無表情に似ていると捉えたところだ。漢字表記を並べたところにも、その雰囲気が良く出ている。「はなすすき」では駄目なのだ。金井克子は十代でバレーのプリマドンナとしてデビューした人だから、顔の表情よりも全身での表現を体得しているはずである。つまり、テレビよりも舞台のほうを得意とする人だ。句の「無表情」は、テレビから受けた印象に違いなく、以前私も見ていて、しばしばその無表情にはヤキモキさせられたものだった。でも、彼女の無表情はどこか魅力的で、後を引く感じがあったのは、多く他の共演者が表情作りに懸命になっていたせいだろう。その落差が強い印象を残すところは、媚を売るなど知らぬげにそっけなく立っている花芒の魅力に通じている。そうだったのか、金井克子は植物にたとえれば花芒だったのか。と、作者のインスピレーションに感じ入ってしまった。掲句に触発されて調べてみたら、彼女も今年で還暦である。そしていまも、元気に舞台はつづけているそうだ。(清水哲男)


November 03112005

 父と子と同じ本買う文化の日

                           星野幸子

語は「文化の日」で秋。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日だそうだが、その日だからといって、とりたてて何か文化的な行為をしようとも思わない。あ、世間は休みなのね。例年、そんなことをちらっと思うだけだ。句の場合もそうで、たまたま文化の日に父と子が本を買って戻ってきたのだろう。結果的には文化的行為となったわけで、作者は微笑した。しかし、二人が偶然にも同じ本を求めてきたことがわかって、今度は苦笑している。もったいないと思う気持ちと、やはり血は争えないという気持ちが、ごちゃ混ぜになった苦笑である。表面的にはそういう句であるのだが、作者の微苦笑の奥から滲み出てくるのは、もう一つ別の思いだろう。すなわち、「子」の成長を喜ぶ母心だ。この子が何歳かはわからないが、高校生くらいかな。「父」と同じ本を買うということは、大人の本を読めるほどに成長したということである。つい最近まではあり得なかったことが、ついにあり得ることになったのだ。一家に同じ本が二冊。もったいないのはもったいないのだけれど、作者には、そのもったいなさを嬉しく感じる気持ちのほうが強いのである。父子二人のたまたまの文化的行為が作者にもたらしたものは、ささやかだが、文化の日に似つかわしいプレゼントになった。子としても父としても、私には句のような体験はない。もったいないことに、自分で二冊、同じ本を買ってしまったことはあるけれど。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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