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November 22112005

 落葉曼荼羅その真ン中の柿の種

                           鳥海美智子

語は「落葉」で冬。「曼荼羅(まんだら)」は、密教で宇宙の真理を表すために、仏菩薩を一定の枠の中に配置して描いた絵のこと。転じて、浄土の姿その他を描いたものにも言う。が、この句では深遠な仏教的哲理を離れて、いわゆる「曼荼羅模様」ほどの意味で使われているのだろう。すなわち散り敷いた落葉が、さながら曼荼羅模様のように広がって見えている。で、ふと気づいたことには、その「真ン中」にぽつりと「柿の種」が一粒落ちていた。柿の種も落葉も色が似てはいるが、その本質はまったく異なっている。前者は植物が新しい命を生み出すためのものだし、後者は植物自身がおのれの命を守るために振り捨てたものだ。それが、同じ曼荼羅模様の一要素として同居している。柿の種にしてみれば、「おいおい、オレはこいつらとは違うぜ。どうなってんの」とでも言いたくなるところか。そう考えると、どこか剽軽な情景でもあって面白い。ただし、わたしのかんぐりだが、作者は実景をそのまま詠んだのではない気がする。落葉を見ているうちに、そこに見えない柿の種が見えてきたのではあるまいか。つまりここで作者は、柿の種という「味の素」ならぬ「詩の素」を加えたわけだ。忠実な写生も大事だが、こういう句作りもあってよい。ところで、この柿の種。あのぴりっと辛いあられ状の菓子と見ても、少しく解釈はずれてしまうけれど、なかなか捨て難い「味」がしそうだ。『水鳥』(2005)。(清水哲男)




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